革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ -8ページ目

革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ

文芸復興が主目的。ネオ新感覚派を求める、文学、読書好き、の人のための文化的ブログ。
革命的文章表現をテーマに、その創造と、その支援を目的としたい。
山畑健と言う本名で、キンドルで本を出している。文学、読書に関する底辺拡大の行動として、ブログを選んだ。

 しょせん、人間だ。天地創造には敵わない。間違っている、と思っていて、それを主張し続けても、最後は、天の言うとおりだ。全部が、全部、とは言わないけれど、ある程度は、折れずにおれない。一人、厚く、拘泥していても、誰も気にしてないぞ、の一言で、さらわれる。

 天が泣くなら、泣くなよ、と言うのが、人の情けだし。

 晴れているから、買い物にも行けるわけで、雨の中では、傘さして自転車では、ずぶぬれになる。それだけで、泣きだしそうになる。弱っちい生き物だ。頑張れ、人間、とは言え、限度はあるだろう。

 それでも、始めたものは、最後まで続ける。文句言うと決めたものは、どんなに指示されなくても、言い切る。つもりでいる。これも分からない。不要だ、と感じれば、途中でやめることもあるだろう。

 神様は、意外に、柔軟だった。よく、人間の扱い方を知っている。懐柔される、と言うヤツだ。間違いだ。言えるなら、言うだろう。けれど、言えない、弱さもある。

 一人、強情になっていても、利益なんてものは、どこにも、誰にももたらされないなら、やる意味はない。分かるなら、やれない。

 理解か? 折れただけか? まァ、譲るわな。人間風情が、歯向かうなんて、身の程知らずもいいところだから。雨にも、負けるよ、僕は。

 愛するに敏感な人間が、愛するに溺れるのは、いけないことか? 愛なら、いいんじゃないか? 愛欲だろ? しょせん。反論はしない。愛したいものは、愛したい。それは、普通に、ある意識だ。

 でも、言わなきゃならないことは、言わなきゃならないのじゃないか? 

 そうだね。僕が言えることは、僕がいっておくよ。別に、利益を望んでのことではない、で、許可はもらえるだろう。酷いのは、ただ、反抗を見せる、自分でしかないのだからね。

 それでも、最後は、天の神様の言うとおりだ。それは、地上の誰も、反対しないだろう。結果、人類が亡ぶようなことになったら、究極に、損失でしかないからね。人間は好きだ。人間の良さは知っている。人間を、ダメにしてほしくない。そこから始まった願いが、人間自体を亡ぼすに導いたら、まさに、本末転倒もいいところだから。

 僕に得られるものが、空想に過ぎなくても、他人に得られるものが、現実なら、それでいいものだ、と、納得もするさ。ただ、人間を、蔑視することだけは、やめてもらいたいな。人間を、不浄にすることだけは、やめてもらいたいな。

 なぜ、鎌倉幕府は、いい国作ろう、じゃなくなったんだ? 

 それが、僕の、一般的疑問だ。

 いい国作ろう、二十一世紀。

 雨にも負けても、人間でいることは、忘れない。

 

 

 誰の言葉だったっけ? 覚えている。今こそ、すべきとき、なのだろう。文化が、どれだけ、生活に役に立つのか? そもそも、文化とは、役に立つものじゃない。と言うかもしれない。

 確かに、そうかもしれない。では、生活を豊かにするもの。では、あっているだろう。この、何もない生活に、意義があることがある。と言うのは、少なからず、日々を彩りあるものに変えるものだ。

 ブログは、文化になるか? と書いた。もう、ずいぶん前だ。あれから、種は撒いてきた。けれど、育った、大樹は、ない。言の葉をたくさん、茂らせた、大樹はない。僕一人、言ったぐらいでは、当然、何の影響も与えられないものなのかもしれない。

 では、誰が、その種をまけばよかったのか? ブログが文化になる。不可能なことじゃない。能力は既にある。ないのは、認識だけだ。だから、誰か、声を持った人が、言わない限り、種をまかない限り、ブログの文化への種は、育まれない。

 Twitterに移った。これも、すごい、可能性のある、機器だ。SNS経済は、実に、要領よく、発展していくべきだろう。ただ、金儲けの手段、としての発展ではなく、声を上げる、人の声を拾う、機器として、発展していくべきだろう。

 けれど、これも、足りない価値観がある。認知されていない、価値観がある。そう言う、文化的働きをすること自体が、認知されていない。だから、新しい声を持っている人が、新しい声を上げても、届かない。これは、システム自体の問題だろう。ブログ、にも言える。

 AIでは、まだ、何が、本当に、有益なのか? を判断する能力はない。

 だから、Twitterにおいても、文化的種まきは、困難なことになる。そこに、多くの斬新な言の葉を茂らせた、大樹は、育ちにくい。

 ひたむきに書いて、どこかで、ヒットするのを待ち続けるしかなくなる。それで、上手く行くほどの世の中じゃない。ゆえに、いつまでも、宝の持ち腐れ、は続く。そこに、利益目的で働く人間が、入ってきて、いっそう、文化的、価値は、高まらないままだ。

 今でも腐るほど、フォローされる。一度も読むことのない、無意味な文章だ。そして、僕がフォローをしなくなったから、僕の読者も増えない。もう、ブログには、期待はしていないから、別にいいのだが、この、能力を埋もれさせるのは、相当数の、数の損失だ。

 そのあたりの仕組みを、できれば、形を担っている人にだけでも、理解してほしい。

 掘り起こせば、実に、うさんくさい経済の道具ではなくて、価値と、可能性を語り合える、純粋な、豊かさへ、社会を導ける、機器になれることを、忘れないで、もらいたい。

 機器の発展は、同時に文化の発展にならなければいけないことを、僕は、承知した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あえて、批判ばかりしているのが、今の社会だ。それに反するように、肯定を選んできたのが、僕だ。けれど、最近は、批判が多い気がする。それも、お得意の神批判だ。

 神を知っている、と言うと、キチガイに思われる。だから、あまり、使うべきことじゃない。けれど、何某かの、神のような、影響なら、誰もが、どこかに、何かに、感じていることじゃないのか? 

 それ、批判だ。あまり、いい傾向じゃないが、ここを超えないと、正義の国もない気がする。努めなければ、先の先もない。真面目な話をしなきゃ、いけないのが、今、という時期だ。明日は、明日、は、もう、昨日の、昨日、の昨日に、聞いた。

 そろそろ、明日のことを、考えなければ、いつまでも、マイナスな、世界を、泳ぐことになる。

 いい加減、大人にならなきゃ、世界は、崩れ落ちる。一時期、アンバランスのバランスでいい時期があった。アンバランスであることが、バランスをとる時代だ。

 けれど、その時期は過ぎた。今は、アンバランスでは、本当に、バランスを壊すだけの時代まで来ている。だから、ここで、バランスをとるために、真面目な話をしなきゃならない。ここは、限界線だ。それを感じたから、最近、批判を多くしている。

 今までは、疑問形だ、った。これでいいのか? きっと、考えられている。進むべき道をちゃんと進んでのことだろう? 的な、話し方だった。けれど、それでは、限界に来ている。今は、ちゃんと、ダメなものは、ダメだよと、正さなければいけない。ここを過ぎずして、世界の未来もない。

 きっと、ここを、今まで通りで過ぎてしまったら、終わった、と言い切れる時代が続くだけだろう。終わらない、ために、ここで、批判を受け、受け止め、間違いなら、正さなければいけない。

 終わった時代、とは、地球である意味がない、とまったく、同意義だ。そこに生きる人は、何の価値を持てるだろうか? 

 正面から、受け止めなければならない、問いだ。けれど、それを選ぶのは、人ではない。僕ら、ではない。神、と言われる、絶対主だ。

 彼は、遊ぶを知ってる。人を遊ぶを知っている。もてあそぶになる、遊ぶを知っている。僕らは、ただ、一心に、願うしかない。人だから。弱いから。無力だから。貧弱だから。ただ、願うことしかできない。

 想いを語り、夢を語り、物語を語り、正義を信じていると伝え、悪は悪だ、と言ってくれ、と信じ、ただ、願うしかない。

 ここで、考えが変わらなければ、本当に、人の世は終わる。それを、どう考えているのか? 背水で、批判する。

 

 

 だいぶ、体力戻ってんな。立ち上がろうと思えば、立ち上がれる。全然、余力がある。でも、あの、底を尽きた、限界の限界を超えての力尽きていた、頃の恐怖は残っている。正直、いつまでも、これが残っているのか? と思うと、恐ろしさしかない。

 一度、不幸な目に陥れられた人間の、トラウマ、と言うヤツかもしれない。本当の意味で、どん底を知ってしまったから。

 泣けない、強さ、なんて、何の役にも立たない。そんなレベルの、痛み、じゃない。必要以上に、虐められ、痛みつけられた、子供のトラウマが抜けないのと、同じだ。

 この痛みを、神は、平気で、人に与え続けているのか? と思うと、悪魔、なんてレベルの害じゃないな。

 人を想えない人にだけはならずにいよう。それは、実行できている。だけ、僕の方が、ましであり、それでも、関係なく、痛みを、抱えている。

 どんな励ましの言葉も、嘘にしか思えず、真実の愛を手にするまでは、自分を治す手立てもない、だろう。

 それでも、体力は、戻っている。それが、本物の、HPなのかは、分からないが、ゾンビのHPが羨ましい。かつて、僕は、ゾンビ、だったんだけどね。その頃より、酷く、実際は、外傷を負っている感じだ。二度目の死が、これほど、痛烈だったとは、今頃になって、思い知らされる。

 空元気、か? 分からない。体力だけは、ある。HPが、0でないのだけは、分かる。まァ、今は、やれているだけましか? 程度で、そんなに深く考えないで、そ知らぬ顔して、鷹揚に進んで行こう。

 ダメなときは、本当に、ダメになるだろう。その時が来たら、その時だ。今は、空、でも、元気でいられるのだから、無視だ。無視。聞こえる声のように、無視して、邁進しよう。

 笑おうと思えば、笑えるし、欲を持とうと思えば、もてるのだから。気のせいだ、で済む話だろう。

 張りぼて、だとしても、世界も、張りぼて、なのだから。

 

 

 ずっと、やるべきことを追ってきた。けれど、ここに来て、もう、やるべきことは、実際ない。あるだろうか? 君は、見つけられるだろうか? 

 世界は平和か? と問われる。さァ、平和じゃないんじゃないの、いや、それなりに平和だ、とでも答える。どちらにせよ、日本国に生まれた、一青年が、どうにかする問題じゃない。

 では、国は順調か? と問われる。まァ、まァ、だ。と答える。あまり、上手くもいっていないが、コロナがあったとはいえ、それなりに、国は、国で頑張っている。人は、人で、勉強し、日々を、他人も住みやすいようにと、努力している。

 そこに、新しい手で、関与すべき事柄はないだろう。

 では、君の言っていた、文芸復興はどうだ? それは、もう、いいよ。充分だ。僕には、十分、先が見えた。

 他人に見えていないなら、いけないんじゃないか? かもしれない。なら、他人にも見せればいいだけだ。残っているのは、興すことではなくて、その景色を見せることだ。

 他に、やるべきことがない、何て言えるのか? 

 言えなくもない。努めるべきことは、僕には、特に見当たらない。このままで、このまま、衰退するものは衰退して、伸びるものは伸びて、適度に、バランスの取れた社会へとなっていくだろう。慌てて、SNS経済と言って、翳すまでもない。自然に、伸びるなら伸びるし、停滞なら、停滞でもいい。

 やる気がないのか? ただ、それだけなのじゃないのか? 自分にやる気がないから、他人もやらなくていい、と言っているだけじゃないのか? 

 もちろん、そうだ。他人に勧めるとは、自分もやりがいを感じるから、と言うのが、最低の条件だ。そうじゃないなら、勧める理由はない。今、僕には、これがやりたい、と目を輝かせてやりたいことがないから、他人に勧めるものもない。

 生きろ、だったな。もののけ姫、あのメッセージをどう思う? 

 死なないさ。君は死なないさ。どうやろうが、生きていく。そうとらえる。そして、それがあるなら、まずは、苦いものもない。

 愛するを覚えなさい、ぐらい、言ったらどうだ? 

 ああ、言ってもいいぜ。愛するを覚えなさい。どうぞ、ご自由に。

 死んだように生きる、もあるのじゃないか?

 あるかもしれない。今の時点、ギリギリ、死んだようにじゃない、と言えるぐらいの僕の今だ。最早、輝かないが。朝は、来そうにないが。何か、暇を潰すくらいのことなら、やっている。

 それが、やるべきことじゃないのか? 

 君は、やるべきこと、と言うのを知らないだろう。それは、人生をかけて、命を懸けて、やらなきゃ、いけない、と強く、自分を、動かし続けることだ。燃え上がった情熱は、決して消えることがない、と思っていたけれど、諸行無常だ。尽きない火はない。燃やすものがなければ、火は燃えない。

 今僕は、灰かぶり王子、として、ここにいる。シンデレラの登場待ちだ。愛ぐらい、最後は、見つけたいものだね。

 他人を興せよ。他人を奮わせろよ。人間の価値を蔑ろにするな。

 ちゃんとした、快い道のりがなければ、そこへは誘えないさ。今、僕は、それを見失っている。だから、誘えないし、言葉も、投げかけられない。既に、過渡期であり、出涸らしだ。

 本当に、やることはないのか?

 ない。やるべきことはもう、ない。僕に見える景色は、そう伝えいてる。

 どうすればいい? 

 どうもしなくていい。自分でいればいい。自分に好きなことがあるだろう。それをやっていればいい。個の時代であり、個の尊い世界だ。

 君は、君であれ。君は、君の好きを大事であれ。君は、君の憧れの君に向え。

 

 

 

 想像はできる。創造はできない。この違いは、現実か? 夢事か? の違い。想像できれば、疑似体験はできる。感傷だけ生えられる。けれど、それは、本当か? と問われれば、現実ではない、と言う言葉で、打ち消される。世界は、どこにある? 

 君の見ている世界は、蝶の見ている夢の世界か? 僕の見ている世界は、夢を見るためだけにある、想像世界か? 

 夢世界を、創造したいんだ。誰もが思うことだ。けれど、それが、所詮、夢世界であるなら、虚像、虚しいだけの、外形でしかない、とも言える。

 愛するを実現した、けれど、それは、自分ではなく、自分の形をしただけの、鏡の人だった。としたら、それは、やはり、虚像。愛を実現するとは、誰もが夢見ることだけに、現実に実現するのは、そう、容易いことじゃない。

 いない人が活躍している、野球みたいだ。

 存在しない人が、なぜ、活躍するのか? 不思議でしょうがないが、活躍するのが、現実らしい。少し、理解しづらい話になったかもしれないが、現実とは、かくも、しょうもないものだ。

 だから、理想は、いくらでも描ける。理想しか、世界には残っていない、と言うほど、理想は描ける。それに対する、現実のくだらなさよ。

 想像の世界でしかない、として、それでも、明日が大切だから、ずっと、夢世界を、思い描いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 汚い手を使われると、憎しみが湧いてくる。憎しみ、なんて、そう簡単にわいてくるものじゃない。呑気に、平凡に、正義を信じて、生きている人間だ。ただ、正しいが、絶対だ、と思っていた。

 けれど、現実とは? と聞かれたとき、残念ながら、それは、汚い手が通用どころか? 根底に流れている世界だ、と言うより他はない。現実を見ろ、とか言うが、単に、現実とは、それだけでしかない。だから、理想に生きる自分としては、より、憎しみを抱く。許せない、の炎が、メラメラ、燃え上がる。

 現実を偉そうに語っているが、それだけ、でしかないじゃないか? 汚い手が、平気で、乱用される世界。それを許すどころか、奨励する神様。

 僕は、神をバカ、だと思う。価値観が、そもそも合わない。こんなに、糞のような塊だとは、生まれて、知るまで、思ってもみなかった。

 よく平気で、正義を語れたものだ。みっともない、しか言えない。

 反論する。何か、ケチをつけようと彼はする。余計、うんこ色にしか見えない。これが、バカにされるためにある、神という名か? と思う。クズのような、意識体だ。

 正義を失い、卑怯を受け入れた時点で、彼の敗北は決まった。もはや、誰も、誰からも、愛されない。

 中には、おべっかを使ってくる奴はいるだろう。けれど、どこかの漫画にあるように、そいつもクズなだけだ。集まってくるのは、力に媚を売る、権力の亡者だけだ。

 なくなれば、直ぐ、蜘蛛の子を散らすように、みんな、当然のように離れていく。

 情けない限りだ。力でしか、人を従えられないなんて。どこが、万能なのだ? 全知不能だ。腐れの、集合、でしかない。

 人望などない。あれだけ、彼が、憧れた人望が、陰りもない。下手くその、末路、だ。誰も、可哀そうとも思わない。哀れ、とただ、言われるだけだ。

 僕は、汚い手を使わないよう、極力尽力する。そんな人間にならないよう、これからも努めていく。決して、潔白ではない。確かに、薄汚れた部分もある。けれど、あの糞神よりましだ。正義のために生きていく。

 糞汚い手を使うことが現実なのに、夢の中も、何もないだろう? それを、ただ、ほざいている、と言うんだ。自分の姿を見てみろ。その糞汚い、自分のやりくちを思案して見ろ。ただ、愚かで、哀れな、お前と言う、貧相な、弱小な、ミジンコヤローが、姿を現すだけだ。

 僕は、汚い手を使う、彼を、阿保の怪物、と言う。それしか、彼から学んだものはない。

 

 

 何を言っているか? 分からないかもしれないが、分かる誰かのために、ここに書き記しておく。あんなもの、主人公でも何でもない。ただの、極悪球団だ。こいつが、球界の盟主をやっている限り、野球人気の復活何てありえないし、このまま、衰退していくだろう。

 現に、僕が、離れつつある一人だ。ヤクルトも、染まっている。目指すべきものを目指していない。

 酷く、残念だ。ちゃんとした理由で、ちゃんと間違っていない条件で、勝っているのなら、納得もいく。別に、逆転負けしたのが、嫌なわけじゃない。正当でない理由で、野球という最高のスポーツをやっているのが、嫌なんだ。

 もう、野球界は、腐っている。せっかく流した、情熱も、努力の汗も、感動の涙も、何も関係ない。もう、野球人なんて、目指さなくていい。衰退してしまえ。

 正義がないところに、人の住処を作る、これが現実だ。それを、実際の形で示しているのが、巨人軍の野球だ。呆れるほど、うさん臭い。

 金を払う価値なんてない。もう、僕も、見るのをやめるべきか? と思うほどだ。

 そうだな。見るのをやめるか? それが一番よさそうだ。奥川の、登板も、村上の打撃も、これからのスワローズも、興味があったけれど、スカパー代を払うのだけで、もったいない、気持ちになった。

 後とは、適当に、三文産業でもやってくれ。

 僕は、のんびりすることにする。せっかく、情熱をくれた、これまでのヤクルト選手たちには感謝するが、こんな、腐った野球を見せられるぐらいなら、見ない方が、よっぽど、正しい選択だ。

 ここで、僕の、野球との人生もおさらばだ。スターダムも、もう書くことはない。二度と、野球というスポーツを見ることもないだろう。

 これが、実に、正義的、結論だ、と分かる。

 何を言っているか? 分からなかったかもしれないが、正しいに反することはできない。僕は、できない。だから、このまま、野球を、見続けることもできない。

 創作以外で、唯一の娯楽だったが、それも終わりだ。言ったように、のんびりする。

 ゆっくり、作品を書いていく、人生になっていくだろう。愛する、だけ、覚えられるのなら、いいや、という感じだ。

 僕は、ただ、ただ、ジャイアンツと言うチームを、それを応援するファンを、軽蔑する。

 

 

 

 

 

 今、求めているのは、その一撃だ。昨日の、聖地、神宮での、西浦の一発のような、爽快な一撃。僕は、その一撃を求めるように彷徨い始めている。自分で、自分を改善できない。自分で、自分の夢を愛し、信じ切ることができない。

 もし、あの一撃があるならば、もう一度でも、気分のいい歩みで、踏み出せるのに。

 九回裏、その前に七回の攻撃、0対0で、ランナーを送って、ワンアウト二、三塁。ここで、勝ち越して、この試合をものにできれば、今シーズンは、まだ、優勝の可能性もある。と、自分で、自分にかけた。結果、歪んだからか、ふとよぎった、集中力が切れた瞬間に、内野フライに終わり、次のバッターも倒れ、得点できず、で終わる。

 当然、そのまま、試合が終わるわけはない。次の回、先頭の梅野に均衡を破られる、ホームランを打たれた。

 ここで、終わりか? そんな夜だった。これで、この試合を落とせば、今シーズンの優勝を、この時点で、早くも諦めることになるのか? そう思った。

 そして、試合は、九回裏へと続く。先頭の山田が、あと一歩の外野フライ。さすがのヒーローも、届かなかった。最早、決したか? と思えた。残るは、若き四番、村上の一撃。前の回のスアレスは、とても打てそうになかったが、この回の藤川なら、まだ、可能性は感じられた。

 三番に、途中から入った、渡辺が、フォアボールを取る。大樹だ。かつて、僕が、主人公にして、小説を書いていた選手。何とか、一軍の守備、走塁、枠で、残るまで、成長した。そして、村上。

 ツーストライク、追い込まれてから、最後は、ほぼ真ん中のストレートだった。空振り三振。万事休す、と思われた。ここまで、確実性を上げてきた、村上が、ここでホームらを打てば、優勝、というような場面で、三振に終わった。彼の座右の銘は、臥薪嘗胆だ。

 だが、次の上田が、若手の突き上げもあり、首候補にも近くなってきた男が、その必要性を、発揮する。センター前ヒットで、一二塁。

 一打で、同点、長打で、サヨナラ、の場面だ。とは言え、ツーアウト。野球は、ツーアウトから、と言う格言があるが、本当にそんなにうまくいく世界じゃない。

 僕の声が届いているか? 分からない。ここで、打てば、最低同点にでもすれば、優勝の目も、なくならない。まだ、始まって、一週間、六試合目だ。どうこう言う時点ではないが、ずっと、かけていた僕からしたら、とんでもない、瞬間だった。

 相手は、百戦錬磨の投手藤川。初球のボール球を、フルスイングで、空振りする。無理か? とまで思うほどでもなかった。もう、ダメなんだ、という気持ちの方が大きかった。そんな中、次のボール、ストレート、少し甘く着た。それを、弾き返す。打球は、レフトに高く上がって、高津監督は、この時、勝利を確信した、と言う。

 さよなら、スリーランだった。まさに、ベストゲーム。これだから、ヤクルトファンは、やめられない。九死に一生を得る、勝利をもぎ取った。

 主人公チーム、と言うには、まだ、巨人も、広島も譲らず引き分けで、横浜も、開幕戦で負け越した相手中日に、さんたてしている。言えない、だろう。けれど、やはり、僕の中では、主人公のチームだ。

 この、会心の一撃、を僕も探している。

 未来に対して、見えなくなった、と言うより、遣り甲斐が感じられなくなった今、自分を立て直すために、探している。生きることにおいて、本当の面白さを、見つけ出さなければならない。

 創作に関して、やることがなくなった、と思う今、その創作の中で、探し出さなければならない。この十五年以上、創作ばかりをやってきた。そろそろ、オーバーワークになり、飽きないし、ネタ切れ、がきても、おかしくないころだ。

 飽きた、と言うより、ネタが切れた、と言うより、新しいがない、と言う方が近い状況。あの、ワクワク感を、取り戻すことは、そうそう、できることじゃない。

 それでも、ここより、生きていくなら、楽しめる人生に変えていかなければならない。それは、見つけ出すしかないこと。一時期、ブログに填まり、Twitterに填まり、世界は、広がったかに思えた。けれど、逆に、知ってしまったことで、縮小してしまった。

 この、負の感覚から、抜け出すすべを、見出さなきゃ、立っていられない。

 パリーグは、ロッテが抜け出し、オリックスが最下位に落ちた。後の有力と思われているチームは、混戦模様だ。まだまだ、序盤、と言う言葉が、ピッタリだろう。

 普通は、これが当たり前だ。何も、今に焦る必要なんてない。時期、くらいついていけば、大事な時は来る。でも、僕は、これさえ、できていない。

 見えないものが増えて、感じられないものが増えて、鈍く、移ろっている感じだ。次世代に、渡す役割とは言え、まだ、僕は、僕自身に期待をしていたい。

 探せ、内なる叫び。起死回生の一撃。

 

 

 ちょっと、言葉にして見た。まだ、あるわけではない。また、創れる力もない。気づいたので、やってみよう、という気は起こる。どんなものだろう。

 今一番、僕の、精神を保ってくれているのは、マガジンの、『DAYS』と言う漫画だ。サッカー漫画で、つくしと言う主人公が、とにかく、ひたむきに、サッカーに取り組む。どんなに馬鹿にされても、馬鹿と思われても、ただ、サッカーに尽くす。そして、下手くそから、戦力に、起死回生に、チーム力をけん引していく。実に、精神衛生上にいい。

 一生懸命であること。誰もバカにしないこと。初め、バカにされていてものが、認められ、愛されていくこと。努力と、成果。それらが、精神衛生上にとてもいい働きをするみたいだ。

 人も、こうあるべきだ、と思わせてくれる。そして、懸命が何より尊いことを、教えてくれる。

 書くなら、こういう作品か? 

 主人公を、ドジで、不器用で、下手くそでも、見つめるものが、端から、ひたむきで、優しい、そんな主人公の、活躍していく物語、か? 

 他人を裏切ってはいけない、これだけは、確かだろう。書く人間としても、それは、心得なければならない。作品だけ、カッコつけても、仕方がない、のが、現世だ。だから、僕自身、強さと、忍耐力と、懸命さを持っていなければならない。

 そうやって、精神衛生上、最もすぐれた作品を創作する。

 ふと思ったことだが、間違いではない、作品だ。ただ、僕の性分で、主人公をあえて、バカ、という考え下手な人間にすることは難しい。けれど、バカと呼ばれている。

 僕は、バカと呼ばれている。

 から始めることは、できないでもない。そこに、ひたむきさと、一直線の、真面目さを加味させれば、創作は可能かもしれない。

 他人に、すっきりした、感動は、与えられるだろうか? まだ、今は、書いているものがあるので、動けないが、次描く作品として、頭に入れておこう、と思う。

 愛情深い人であればいい、と思う。

 人間の出来、不出来は、どうでもいいものだ。ただ、その人が、一生懸命やっているのか? が、すべて、と言えるものだ。痩せた馬は、走り出す。疾走する名馬に憧れて、走り出す。その原点に戻って、やってみよう、と、少し、思った。