しょせん、人間だ。天地創造には敵わない。間違っている、と思っていて、それを主張し続けても、最後は、天の言うとおりだ。全部が、全部、とは言わないけれど、ある程度は、折れずにおれない。一人、厚く、拘泥していても、誰も気にしてないぞ、の一言で、さらわれる。
天が泣くなら、泣くなよ、と言うのが、人の情けだし。
晴れているから、買い物にも行けるわけで、雨の中では、傘さして自転車では、ずぶぬれになる。それだけで、泣きだしそうになる。弱っちい生き物だ。頑張れ、人間、とは言え、限度はあるだろう。
それでも、始めたものは、最後まで続ける。文句言うと決めたものは、どんなに指示されなくても、言い切る。つもりでいる。これも分からない。不要だ、と感じれば、途中でやめることもあるだろう。
神様は、意外に、柔軟だった。よく、人間の扱い方を知っている。懐柔される、と言うヤツだ。間違いだ。言えるなら、言うだろう。けれど、言えない、弱さもある。
一人、強情になっていても、利益なんてものは、どこにも、誰にももたらされないなら、やる意味はない。分かるなら、やれない。
理解か? 折れただけか? まァ、譲るわな。人間風情が、歯向かうなんて、身の程知らずもいいところだから。雨にも、負けるよ、僕は。
愛するに敏感な人間が、愛するに溺れるのは、いけないことか? 愛なら、いいんじゃないか? 愛欲だろ? しょせん。反論はしない。愛したいものは、愛したい。それは、普通に、ある意識だ。
でも、言わなきゃならないことは、言わなきゃならないのじゃないか?
そうだね。僕が言えることは、僕がいっておくよ。別に、利益を望んでのことではない、で、許可はもらえるだろう。酷いのは、ただ、反抗を見せる、自分でしかないのだからね。
それでも、最後は、天の神様の言うとおりだ。それは、地上の誰も、反対しないだろう。結果、人類が亡ぶようなことになったら、究極に、損失でしかないからね。人間は好きだ。人間の良さは知っている。人間を、ダメにしてほしくない。そこから始まった願いが、人間自体を亡ぼすに導いたら、まさに、本末転倒もいいところだから。
僕に得られるものが、空想に過ぎなくても、他人に得られるものが、現実なら、それでいいものだ、と、納得もするさ。ただ、人間を、蔑視することだけは、やめてもらいたいな。人間を、不浄にすることだけは、やめてもらいたいな。
なぜ、鎌倉幕府は、いい国作ろう、じゃなくなったんだ?
それが、僕の、一般的疑問だ。
いい国作ろう、二十一世紀。
雨にも負けても、人間でいることは、忘れない。