花を咲かせ、綿毛になり、その種を、風に飛ばし、あちらこちらに、芽を生む。それが、僕ら、表現者の宿命。誇り。花は、黄色い、小さな、可愛らしい花だ。人は、それを、幸運の花、と呼ぶ。
幼いころ、野原、で見る。
アスファルトの時代になり、とんと、見なくなった。アスファルトの端にでも、風に揺れながら、咲いている、だろうか? 表現者の矜持。商業は、人の根本を奪った。売れれば、何でもいい時代になった。ダンデライオンが、売り物になることはない。
幸運の花は、まだ、外で遊びを知っている、僅かな、子供たちだけのもの。
たまに大人がやってきて、吹いて、綿毛を、飛ばす。力なく、そこらに、散らばる。受け継がれし、伝統も、何もない。
でも、見つけたら、君だってやるだろ? そう、誰だってやる。それが、伝統なのかもしれない。まだ、花が咲いているだけ、いいさ。と言ったところか?
風の王は、世界の理を知っている。どうして、この野原に、タンポポがやってきたのか? を知っている。風に飛ばされ、飛ばされ、向こうの野原から、やってきたのだ。
表現者は、種を作ることさえ、忘れている。売れれば何でもいいは、結局、何でもいいだけの社会しか作らなかった。僕らは、幸運の花にならなければいけない。
そして、風の王に会い、揺れる方へ、方へと、飛ばされるんだ。それが、他人と言う、心の野原に舞い降りて、芽をはやす。それが、花になり、実になるまでは、まだ、分からない。途中で、誰かに、踏まれて、咲かないこともあるかもしれない。世界には、乱暴な人間が増えているから。
商業は、どちらか、と言えば、彼らの味方だ。
何もかも、便利な方へ、効率化されたほうへ、流れていく。便宜主義、と言ったのは、僕だ。それでも、少し、効率的じゃなくても、遠回りでも、便利というより、回りくどくても、やらなきゃいけない、と言うことはある、と思う。
失うことには、飽きるほどだ。育てることは、みんなしようとしない。ライオンの矜持は、今こそ、発揮されるべき時だ。走れ、竜馬。都と見間違えて走れ。
頑張ったものには、頑張ったものの約束がある。それを誇れるまで、花を咲かすんだ。外野の、遠吠えなら、聞かなくていい。勝手に、吠えさせておけばいい。見たい未来がある限り、それが、正しいと信じている限り、過去の自分に、だろ? って言えるために、満開の、精いっぱいの花を咲かせ、そして、白い、真っ白い、綿毛になって、風に、行方は任せて、その意志を、飛ばせて行け。ここから先が、愛を知る世界だ。
愛を持ったものしか、種は、飛ばせない。
ライオンの矜持、始まったときから、決めていた、その矜持を、示せ。
キンドルでこれ以外にも本を出しています。良かったら、読んでみてください。
他のブログも読んでみてください。
