ずっと、善だった、という気はない。けれど、悪にはならないように気を使ってきた、とは言える。悪に一度手を染めると、体に、悪の血が流れ始めるのを知っているから。悪の血が流れ始めたら、もう、止めることはできない。いっそ、完全な悪になるまで、血流は、流れ続ける。そう、怯えてきた。
それが、本当か? どうか? は、悪に手を染めた人しか分からない。
けれど、怯えることは大切なことだ。いわゆる、抑止力。君が、悪に染まったら、世界は、終わりも終わりだよ、と言われれば、責任感も出るだろう。ずっと、正義の漫画ばかり読んできた。ずっと、正義側の言葉ばかり言ってきた。それが、気に食わない、何かに、否定されたこともある。酷いとは、悪をやらないことでも、起こりうる。
どうすればいい、と言うのか? そんなこと考えたこともない。するしかない、から、し続けただけだ。それ以外に、選択肢なんてなかった。いや、あったのかもしれないが、眼中になかった。僕は、僕に見えるものだけを、盲信する。
悪とは何だ? と考える人もいるかもしれない。
人を傷つけることだ、と僕は答えてきた。
しかし、それならば、君もやっているのではないか? と問われることもある。ただ、そんな気持ちで動いたことはない。自分を傷つけた相手に、牙を剥いたことなら、ないわけではないが。それは、傷ついても、平気な人間だから、そう行動をとれるのだ、と考えている。だから、傷つくべきじゃない人に対しては、極力、傷がつかなように、相対してきた。できているか? どうか? は別にして。
他人は、平気で、人を傷つけている。悪に手を染めている。悪の血が流れている。神は、それでも平気だ。むしろ、そう言うものだ、と言う。僕には、そんなこと、考え自体が、理解できないが、全知全能が言っているんだから、もっと高い時点での、ものの見方があるのだろう。そんな、低次元の存在ではない。はずだ。
悪にだけはならないように。今では、僕だけが言っている。僕だけになっても、言い続ける。僕は、まだ、悪に手を染めていないから。それが、僕の、唯一の勝利だから。
そして、それは、悪しき伝統として受け継がれる。どちらが、悪しき伝統なのか? 分からないが、世界は、全体で、そっぽを向くのだから、こちらが、悪しき伝統、と言うしかない、だろう。悪に手を染めるな、と言うのが、悪しき伝統になる。
それなら、他人を傷つけまくってもいいのか? いいわけないだろ、のくせに。
英雄の話を散々してきた。人は、英雄を目指すべきなのではないか? と普通に言う。漫画じゃないんだから、と言われても、漫画だよ、と答えることにしている。だから、他人は、英雄になっていくべきだ、と思う。
英雄は、悪を、根絶するだろうか? 単に、切り捨てるだけ、なのだろうか? 七度捕まえて、八度目に改心させるようなことはしないのだろうか? 悪の血を、抜き去らなきゃ、本当の意味で、人は救えない。
悪には、快楽があるのか? そりゃあるだろ? と答えるのが普通だろう。けれど、僕は、正義にこそ、快楽を感じるものだ。そうすると、今度は、悪が、嫌な顔をする。歪んだ、痛みを感じた顔をする。だから、悪が、救われる。
それは違うだろ? そんな違いも分からないのか? 便宜的だよ。悪が流行るなんて、便宜的じゃない、だろ? 正義なら、いくら流行っても、世界にとって、損失ではない。とても、便宜的にあっている。けれど、悪が流行っては、便宜的にも損失しか残らないだろ?
得になるべきものが、後に残らない。ここへ来たのは、太陽の光を浴びて、悪びれることなく、前進していけるためだ。
夜魔に、落ちぶれるためじゃない。走る勇気をもって、真っ直ぐ、走り抜けていくためだ。
英雄的賛歌を歌ってくれ。英雄的賛歌が聞きたい。
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