東洋経済という雑誌の12/20号の特集が
「実家の片づけ」というもので、その中に
「墓じまい」という文字を見つけ購入しました。
年末年始の帰省に合わせて、実家で両親と
終活、親の家の片づけについて話し合ってほしい
との狙いのようですが、
その後半部分で「墓じまい」についても触れられていて
3名の例が出ていました。
いずれの方も実家の墓は今住んでいるところとは離れた
場所にあり親や自分が高齢化するにつれて墓参りできなくなったり
子供がいなくて後の面倒を見る人がいなくて不安に思い
改葬して納骨堂など合同葬のところにお世話になることを選び
死後の不安が亡くなって、残された子供に墓守の負担がかからなくなって良かった。といった内容です。
先祖とのつながり、先祖あっての自分、そしてそれが子供や孫につながっていく関係を全く無視したもので、そして死ねば無になってしまう。そういった考えである。言葉は良くありませんが、自分のことしか考えない、自分さえよければいいという感じを受けます。
”無”になるのであれば、遺骨も単なる置き場を考えればいいわけで
それであれば、年忌法要やわざわざ四十九日に納骨などしなくてもいいのです。
永代供養など、お坊さんのお経が本当の供養になるのでしょうか?
子や孫が故人をしのんで手を合わす
近況を報告し、感謝の意を表し、先祖が成仏するのを応援する。
これが、供養なのではないでしょうか?
墓じまいをして安心するのは生きている間だけで
亡くなってから後悔するのは見えています。
高齢になる前に是非墓相学の墓を検討してください。
間に合えば、永く家が続く幸せが手に入るかもしれません。