なんて幸せなんだろう | この素晴らしい世界で

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この世界は
『幸せ・愛・安心・豊かさ·喜び』といった充足感がデフォルトです

【不安・心配・怖れ】といった不足を感じることは本当のことではないんです

だから
脈々と流れている充足の方を見よう
今に生きよう
楽に生きていこう

この素晴らしい世界で


こんばんは

りえすけですにっこり


今日は冬至ですね

(ってタラタラ書いてたら23日になってしまった・・・)


かぼちゃの煮物を食べ
ゆず湯に入る


別になんてことはないんだけど
結婚してから
毎年冬至の日にやっていること26回目!
すごいよねウインク



かぼちゃの煮物もできたし
寒かったから豚汁を作ったよ

あとは
主人が駅で買ってきたお寿司とか(←いきなり買ってきた)
大根の漬物とか水キムチとか
ブロッコリー茹でたのとか
まあ、普通のおかず

それ食べたら
美味しくてお腹いっぱいで

ゆず湯も
お風呂にぷかぷか浮いたゆずのいい香りに包まれて

今日は冬至かー、今年もあともうすぐだなあー
なんて
ゆずをモミモミしながら
心身ともにじんわりポカポカと暖かくなり


こんななんてことない
日常のひとコマだけど
普通ーーーな話だけど
当たり前なことだけど


『なんて幸せなんだろう・・・』


って
ありがたいなぁって思った
照れ照れ照れ


あ、それで先日
山の中腹に住んでる友人の家まで
車で送っていったんだけど
5時前でも、もう真っ暗で泣き笑い


だけど、帰り道
下界の夜景が綺麗でキラキラして乙女のトキメキ
すごく綺麗だったのーーー!

山から見る夜景なんて超久しぶり
そんな宝石箱の様なキラキラを見ながら

『なんて幸せなんだろう・・・』

って感激しながら
山道を真っ直ぐ下って行ったよ乙女のトキメキ



『幸せである』
ということは


つい見過ごされてしまう
この普通とか当たり前の中に
ずーーっとあったもの

そうそう
私たちの中に
ずーーっとあったもの
なんだと思う


私たちは
幸せとか愛とか心地よさとか温かさがデフォルトであるにもかかわらず


幸せとはこんなもんじゃない、とか
もっともっと特別なもの、だとか
こんなんじゃ意味がない、とか
特定のアレが手に入らなければ幸せじゃない、とか


そうやって現実を見ては
思考やエゴによって振り回され
嫌な気持ちや不安や不足感に振り回されて

『ああ、やっぱりね』
『どうせこんなもんよね』
『こっちがの世界が本当なんでしょ』

って哀しく決めつけてしまうんだよね


だけど
その思考やエゴに気づいたら
それに同化しないで


私たちは
幸せとか愛とか心地よさとか温かさがデフォルトである


と、いうことに
気づくだけでいいのではないかしら


生きるって
幸せとか愛とか心地よさとか温かさに
自分が気がついていくことなんだろうね
ニコニコニコニコニコニコ





クリスマスのごちそうといえば

 



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