許しの本質について | りえきーんのブログ

りえきーんのブログ

ブログの説明を入力します。

こんにちは♪



今日は許しの本質の話


よく許すことで救われるなどと申しますが

許すってなんでしょう



喧嘩して仲直りして相手を許す

わからなくはないけど


許してって言って許せるものばかりではないですよね



じゃ、許しの本質についてのお話です☘️


許しにはふたつパターンがあると思っています



一つは相手の犯した間違いの中に少なからず愛を見つけて自分が救われるパターン




二目は問題を起こした相手に愛のある行動をとれた時

言い方を変えると相手が犯した間違いに対してその間違いの問題点を相手の学びだとしっかり譲渡できて自分が救われるパターン



どちらのパターンにしても許すことで自分が救われる


極簡単に言うと許しとは問題から自分を救い癒すこと



結論

許しとは=問題からの解放であり癒しです



結論は出たけど

もうちょっと腹落ちしてもらいたいので



例え話です


人はたくさんの間違いを犯しますが


🌲ひとつ目のパターン


ものを盗む行為これ悪とされています

けれど


自分が贅沢をしたくて人からものを盗む行為

子供が空腹で泣いていて仕方なく他人のパンを盗む親


の場合



人は後者に救いを感じます



例えば殺人


あの人が邪魔だから殺した

年老いた親があって自分が悪い病気になり置いていくことができない無理心中


どちらも悪だけれど後者に救いを感じます



人はほんの少しでもらそれが間違えていたとしても愛を感じると救われます




🌳もうひとつ目のパターン


相手の起こした行為に愛を見つけられない時はどうなのでしょう


例えば厳しい両親があってたまには手もあげる

間違った行為ではあるけどその時それが愛情だ思い込んでいればまだ救いがありますが


ただイライラするからと手を挙げているとなると救いわありません


では許すことはできないのかという問いが出ますが



そこでその学びは私にはないと理解することで救われます


相手の学びなのだから巻き込まれて叩かれて続ける必要がないことに気づくことで解放が起きます



それはどういうことか


私せいではないということです。

私がいい子でも悪いのでも関係ないんです

それは親の学びあって私の学びでないんです。

あとはあくまでも相手の問題だと割り切り問題を起こした親に愛ある行動がとれた時となります


要は立ち去るのです



私がいい子にしてれば私がいう事を聞いてればは親の学びを自分が背負っている状態ですし

親からから学びを奪っている状態とも言えます


自分の機嫌は自分でとらなければなりません

子供に自分の機嫌を取らせるなどもってのほかです

ですが残念なことに子供が親の喜ぶ行動をしてあげて親の機嫌をとっているパターンが非常に多いです


それが続くと子供は自分が悪い子だから機嫌が悪くなると言う間違った精神を学びます

そして親も貴方がいい子にしていればお母さんは怒らないみたいな謎の思考になっています


そうなってしまうと子供なしに親は自分の機嫌をとれなくなってしまいます

こうなったら距離を取るしかありません


そのように


相手の学びをきちんと相手に渡せた時救われます


これは全ての人間関係に該当します



そのほかのパターンでもこんな場合もあります



乱暴な運転をして図らずも相手を殺めてしまった場合

その被害者の関係者はかなり辛い思いをします



この時相手を許すことができるとすればそれは

その犯した間違いに対して相手が学びを得て軽はずみな行動をしないよう自分を刷新する

その時その間違いに対してそれを学ぶのは相手なのだと心から学びの感情を相手に譲渡できた時だと思います





許しの本質とは問題からの解放であり自分への癒しです



物事の本質は同じですのでパターンは違ってもどちらかに該当します



起こった物事に対して自分はそもそも許せてるのかどうかもわからないという方は当てはめてみてください


自分はそれをやっているのかいないのか


本質が見えてきます☘️


許しって言葉は日常的に使われるけれど以外と掘り下げるとわけがわからなくなるものですが

以外と単純でもあります



是非皆様も手放し許しが完了しているかをこれで確認していただければと思います




本日も長くなりましたがお越しいただきありがとうございました☘️