息子の場合は、2歳9ヶ月で独り歩きをしだしました。

 

あまり四つん這いをせず、ズリバイからつかまり立ち、そして長いつかまり立ち・伝い歩きの後に、1歩、3歩…そして、10歩と独り歩きをしだしました。

 

その後は、手をつないて少し歩いたり、滑り台、ブランコで遊ぶ時などはそれなりに歩いて移動していましたが、長く歩くことはなかなかできませんでした。

 

療育園や保育所などでも、部屋から部屋への移動はできていましたが、自閉症もあって、目標がわかりにくい、例えば、食べるためや、好きな遊具で遊ぶためには移動できるけど、ただ歩く散歩とか漠然としたことでは頑として歩かず、わがままで嫌なのか、しんどいから嫌なのかがわからず、学校へ行くまで歩く距離がなかなか伸びませんでした。

 

そして、学校へ入学すると、身辺自立と同じくらい、体作りも重要視されていて、散歩や遊具遊び、体育等、身体を使う時間もたっぷりと日課に組み込まれていました。

 

先生は、息子には、一対一でついてくださって、根気強く、そして少しずつ歩く力をつけてくださいました。

お友だちが一緒に歩いているというのも、歩く力をつけていく中で、わかりやすく、また励みにもなったようです。

 

学校の周りは自然豊かで、歩く環境には事欠きませんでした。

 

学校生活の12年間で、本当に長い距離を歩けるようになりました。

高校の修学旅行は、山口・福岡に行ったのですが、歩行ゆっくりグループと言えども、関門海峡を半分ぐらい渡ったり、山口の鍾乳洞を歩いたり…信じられないくらい、息子は頑張っていました。

  

            
  
ただ、家では相反してあまり歩かず、プールやショッピングモール、ブランコ等、大好きな目標を作って歩かせる努力はしてみるものの、すぐバギーや車椅子に頼ってきて、学校での様子とのギャップに悩みは尽きませんでした。
 

 

でも、何かしろと言ってするタイプでもなく…学校では頑張っているんだから良しとするかな〜と割り切って、ある程度の努力をさせつつも、バギーや車椅子も使いながら、おでかけも楽しんでいました。

 

そして、学卒後、作業所に行くと、体を使う時間はぐんと減りました。

時々、近くの、ブランコのある公園にも連れ出してくれましたが、歩こうとせず、車椅子で公園まで行き、ブランコが見えると、うれしそうにブランコまで小走りで移動する具合で、そう言った外で身体を使う時間も、作業所の利用者の人数が増えるにつれ、なかなか取れなくなって、一段と歩く時間が減っていきました。

 

そのうちブランコも短い時間しか楽しめなくなってきて、とにかく運動はブールに頼るしかなく、時々はガイドヘルプも利用して、何かにつけプールに連れて行っていました。

 

歩けなくなってきてからも、リハビリも兼ねて、プールへよく行きました。

 

 

訪問リハビリをするようになってからも、リハビリがはかどらない中、プールだけが頼りで、月2回の障がい者プールに加えて、小さい頃から行っていた温水プール施設にも時々連れていきました。

 

息子が楽しんで、息子のためになる、と疑わずに…

 

きっと、どこからか心臓が悪くなってきていただろうに、誰も気づいてやれなくて、亡くなる10日前ぐらいにも、障がい者プールに参加。

 

しんどい思いさせてしまった…悔やむのは切りがないし、辛くて動けなくなるのでやめようと思っているけど、時々やっぱり考えてしまいます。