語り部バス!その当時の写真を見せながら、現地を説明して下さいます。
去年とは違う方だったので、また違う切り口で新たな発見もありました。その方自身の体験談も交えて教えてくださるので、よりリアルに当時の事が思い起こされます。
この道路より更に下にあった戸倉小学校の生徒91名は、あの左の家がある、小高い丘の上に逃げた!
あんな高い所なのに、津波はその家の1階部分まで到達‼️
右の林の中にある、神社まで駆け上がり、助かった!!
雪の降る寒い寒い夜、焚き火などしながら一晩を明かす子供達。眠ってしまうと低体温症になり死んでしまう!眠らないように、皆で卒業式に歌うはずだった川島あいさんの「旅立ちの日に」を歌って一夜を過ごした!
やはり音楽はそんな時、人を勇気付ける事の出来る力があると信じたい!
更に小高い丘に建つ戸倉中学校!
この1階まで津波は来た‼️
今は閉校され、公民館として震災の資料が展示されています。
地震後、停電で止まった時刻のまま、時計は残されています。
あんなに遠く眼下に見える海がこの校舎の1階まで到達するとは、誰が予想するだろう?
長閑な草原の風景。昔からこんな景色だったのかと思ってしまいます。
違う!かつては街があり、賑わっていた界隈なのです。
何も無くなった中にポツンと、震災遺構として高野会館が遺されています。
本当に高くて、実際にその地に立つと信じられません!
327名 ペット2匹、全員屋上に登り、助かったそう。
右奥に見えている市民病院では74名が犠牲に‼️😭
その周りの何も無くなってしまった風景が痛々しい!
かつてはここも街だった!!!
旧防災対策庁舎跡。やはり周りは何もなく、ただそれだけが遺されています。
最後まで避難を呼び続けた職員、遠藤ミキさん24歳。
実際には最後は三浦武さんという男性職員がミキさんを屋上に逃し、津波にのまれるその最後まで放送を行った!
秋に結婚予定だったミキさんは、その秋に遺体が発見される。三浦武さんのご遺体は未だに見つかってない…
語り部バスが終わって、ホテル観洋へ戻りました。観洋からの風景。
こんなに美しい景色が!!
観洋を出発!なんと旗でお見送り❣️
お世話になりました!
再び防災対策庁舎跡へ。震災後に出来た堤防が痛々しい。
こんな堤防が今は張り巡らされています。
かつての風景。堤防はありません、、、
志津川地区の復興まちづくりパノラマ。13年経っても、このようにはまだ出来上がっていません😭
かつてはここも街で、防災庁舎の周りは病院やお店が並んでいた!
もともとはこんなに大きな建物!
何も無くなってしまった、、、
本当に、ただのだだっ広い草原となって、そこに街の営みがあったなんて、言われないとわからない、、、
これでは、皆、帰って来たくても帰って来れなかっただろうなぁ、と、13年経った今のこの状態が、胸を締め付けます、、、
復興祈念のテラスに設置された名簿安置の碑。
震災遺構の写真ばかりで、すっかり「南三陸さんさん商店街」の写真を撮り忘れました😅💦
この復興き祈念公園の横に、「さんさん商店街」という、地元の海鮮などが食べれる一画が出来ていました‼️
美味しそうな物がいっぱいで、目移りしちゃいますよー!!!😆
こちらの海鮮丼も、新鮮でめちゃくちゃ美味しかったー‼️
是非訪れてみて下さい🥰💕