神寄木賀集ゆかさんブログはこちら。





【創造軸】

真を捉える。

 

 

 


皆様、おはようございます。

 

イレギュラーりえです。

 

 

外国人風に名前を改名しようかな、、と

最近、毎日がイレギュラー。

 

 

慣れていた、Wワークのバイトも

イレギュラーしか起こらねぇ。

 

 

社員が帰った後に

ほぼ毎回イレギュラー案件が発生し

(先日の事故もですし)

 

 

事務所内をわちゃわちゃと

走りまくってます、、、。

 

 

昼間の仕事は

イレギュラーが当たり前なので

 

 

イレギュラーという概念が

変わりそうです。

 

 

イレギュラーがレギュラー。

 

早口言葉みたいになったけど。

 

 

そんな現実もわたしが創っているのですが

 

 

慣れたい

楽したい欲があるわたしは

一気に到来しすぎて

 

 

ちょっと、ここ最近

疲労困憊気味です。

 

 

 

 

朝方にブログを書いてると

父が

「休みの日はゆっくりし~な」と

声を掛けてくれたかと思うと

 

 

母は

「辞めたかったら辞めたらいいねん」と

 

 

辞めたいなんて一言も出してないのに

わたしを映す鏡として

表現してきます。

 

 

そして、母の言葉に

猛烈に反応しているわたしがいます。

 

 

 

何かにつけて

「嫌やったらやめたらいいやん」と

 

 

わたしの「反応」を引き出す

強烈な母という鏡が

最近は、頻繁に登場してきます。

 

 

 

神棚での祈りが終わった後も

 

 

「祈りってなんやろう」

「意を乗せるから祈りかな」と

 

一人呟いているだけで

 

 

母が

「嫌やったら辞めたらいいやん」と

云ってきました。

 

 

ここまで、同じ言葉を連呼されると

よっぽどわたしは

「辞めたい」「逃げたい」と

思っているんやなと。

 

 

 

以前、ガイドの一人から

「わたしの本気の祈りなんぞ

一度も届いたことがない」と

云われたことがあり

 

 

 

それ以来、「祈り」ってなんやろうって

そんなこともわからずに

ただ、わかりたいと

毎日「祈り」を捧げていて

 

 

 

これは、わたしがやってることの

全てに通ずることなのかも、、、と

ちょっと捉えていたところ、

 

 

神寄木賀集ゆかさんのブログを読み、

最近、行動を積み重ねて

疲労困憊しているのは、



「真」が盲目になっているからだなと。

いうところに、今は辿りついています。

 

 

このブログを書くことも

毎日の仕事も

 

 

現実に到来する全てのことにおいて

ただ、こなすような

対処的な行動を積層していたわたしは、

 

 

「疲弊」していった。

 

 

「祈り」とはなんだろうと

自らの中に問いが生まれて

それをわかりたいと

毎日、祈りを続けているように

 

 

このブログを書くことも

ただ、こなすだけではなく

このブログを書くという學びの

「真」を捉えるように

 

 

日々、コツコツと

続けていこうと思います。

 

 

 

二元構造の意識場は、まず現実の何を観ても

「獲得観点」に基づき認識する癖があります。

それが邪魔をして「真」が盲目になってしまう。

「型」を使う學びは2つあります。1つは「自我」の

「律」を崩す學び。「わたしの楽」の中で、全てを

創造をしようとする「楽ラクマイペース律」のままに

歩み続けた「果」が今の「わたしの現実」です。

ここに「面倒」「難しい」と感じる「律」を入れて、

「楽ラクマイペースで既知を繰り返す停滞律」から

捨ててきた「未知の可能性ルート」へ方向性を

変える學び。2つ目は、「心地よい」と感じた

「ある世界の振動律」の創造者が、日々の

「進化創造のプロセスの一環」として配置する

「ある型=ある行動グラウンディング」を使って、

「同じ型」を日々毎瞬「繰り返して」いても、

全く異なる「未知」と出逢い「學び気づく」という

「意識次元の進化」を創造するには、どんな

「意識の在り方で挑めばいいのだろうか?」と

「問い」を立て、その「解」への到達を目指し

日々「こうではないか」と新しい気づきの意を

「型」に込めて行動グラウンディングをすることで、

「霊性進化プロセス」を創造する學び。そうして

「型」に対して行う全てを、「現実の到来」に

対しても行い「進化」の具現化へ還すのです。

「獲得観点」の創造はとても簡単です。

「それ」さえすれば、「得る」のですから。しかし、

そのスタイルで得られるのは「物質的な形」です。

立体をスライスした「一面」の創造ということ。

具現化は「世界」という立体の創造です。

「面が立体化するプロセスを創造する」ことで

やっとそれは具現化するのです。「報われたい」

「獲得」という観念がある限り、はじまらないのが

具現化創造。今この瞬間の「意識の在り方」は

どこへ向かっているか。思考も言動が基づく

「認識」を観察する観点の強化に努めて―。

 

 

 

 

だいぶ、神寄木賀集ゆかさんのブログの

引用を持ってきましたが

 

 

 

この部分を腑に落とせるように

今日も行動グラウンディングしてきます。



嫌なことはしなくて良い。

退化を選択するならば。



わたしは進化を選択しているので

全てを學びと捉えて

超えていきます。

 

 

 

読んでくださりありがとう。

またね。