神寄木賀集ゆかさんブログはこちら。

 

 

 

 

 

 

【創造軸】

現在地の真上に立つ。

 

 

 

 

 

皆様、おはようございます。

 

 

昨日のブログで

「痛みが伴う観察を書く」ことについて

書いたのですが

 

 

今日、ブログを書こうとしていて

なかなか、

自分では痛いとこ突かれんよなとか

 

 

痛いとこ突かれた!って

「事象」ってなかなかないよな、、、とか

 

 

痛いってなかなかなくない?

 

 

痛いというよりは、

「そんなことあんた考えてるん」って

思われたら、恥ずかしいって「事象」の方が

多いよな、、、

 

 

等々、死ぬほど思考をし

 

 

 

「痛み」という言葉に

囚われているわたしにまずはいきつく。

 

 

他者にこんなわたしを知られるのが

「恥ずかしい」というのは

 

 

わたしにとって、

このブログに書くことに

「抵抗」がある、

「負荷」があるということなので

 

 

「負荷がある」=「痛みが伴う」

 

 

ということやん。

 

 

しかも

他者がわたしのブログを読んだ時には

別にこのブログの、

どこが痛かったんってなるかもやんと。

そんなことをグルグル思考しつづけて

ブログを書き始めました。

 

 

そんなわたしを観てみようとすると

 

 

 

最初、

このブログを書く「創造軸」が

 

 

 

「自分以外の他者にどう思われるか」に

あるからだと

思考で一瞬観ましたが、

 

 

まだ、「観察ポイント」やで!のサインが

ガンガン鳴って

鳴りやまず、残尿感がたっぷりなので

観るとこズレてるんやわ、、、となり、

 

 

そして、ブログを書いてるうちに

 

 

そもそも感が出てきてて

他者ちゃうやん。

 

 

 

自分が納得できる自分であるのか、

自分がどう思うか

わたしを壊さないか

わたしという設定通りなのか

 

 

常に自分をジャッジして

「わたしを壊さないように」のみ

忠実に動いて、

 

 

現在地を観ようとしないことが

「観察ポイント」やろといきつきました。

これしかない、今更感やけど。

 

 

ガイドの声や、他者の声に

耳を傾けずに生きてきたわたしは

今更感がいっぱいです。

 

 

今のわたしはこんな

ところに立ってるんか

 

 

本当の「現在地の真上」に立とうとすると

我が強いわたしは

理想とする

わたし設定をなかなか譲らない(抵抗・反発)

があるので

 

 

 

「痛み」という感覚サインで捉えるだろうなと。

 

 

 

ほんとうの現在地に立たねば

一歩を出すことができないので

 

 

感覚サインとして

「痛い」と捉えるサインは

ほんとうに近づく大切なサインで

 

 

そこを調えていくことが

一歩を出すことに繋がるので

 

 

「痛い」と捉えることを

ブログにも書けと

ガイドは云っていたのかと

今のわたしは捉えました。

 

 

痛くない観察は、

自我にとっても

これまでのわたしを壊すには至らんと

わかっているような

安全の中にいる「観察」なんや。

 

 

神寄木賀集ゆかさんのセッションでは

痛い、、、というところを

ガンガン突いてきますし

ガイド達も最近は

 

 

わたしの「我」が強すぎて

ちょっとやそっとでは

壊れないことを知っているので

強さを増して

痛いところを突いてくるように

なっています。

 

 

これまでにも

ガイド達はずっと、わたしに沢山の

言葉を伝えてくれていて

わたしの「自我の殻」に

ヒビを入れようとしてくれていたけど

 

 

その言葉をひたすら

流しそうめんのように(いらん喩え)

流してきたということは

ヒビすら入っていないんかもしれん、、と

思考し、周波数出てますが、

 

 

 

わたしが、自分でも「痛い」と思うことに

真正面から向き合わねば

そこを「やる」と決めなければ

 

 

超えられないところだと

気づいたので

肚を括ります。

 

 

 

このわたしという世界を壊していく

のに、現実というツールがありますが

 

 

神寄木賀集ゆかさんのブログにも書かれていた

 

 

出逢う世界の「音」の響きをよく捉えるのです。

異なる「音」を「協和」するポイントを観つけて

新しき世界を創造する 創造者を目指して―。

 

 

出逢う世界の「音」の響きを捉える。

 

 

わたしは、わたしの「音」しか

響かせて生きていないので

 

 

「全なる一」として生きたことがないので

 

 

到来する現実を使って

 

異なる「音」を「協和」するポイントを観つけて

 

 

ここを、やっていきます。

 

 

それでは、まずは

協和ポイントが見つけれなかった

観察を書きます。

 

 

と、観察を一つ書こうと思ったけど

次のブログで書くことにします。

 

 

 

このブログを書くうちに

ブログで書かなくても

自分で観察して、そうか!って

捉えて終われば良かったブログやなと

 

 

思考して、

一瞬書き直そうと思ったけど

そんなことを繰り返していて

 

 

ブログアップ時間が過ぎ去って

いってるので、、、、

 

 

このわたしも

観察しつつ、、

 

 

 

今日は、これにてドロンします。

 

 

読んでくださりありがとう。

またね。