神寄木賀集ゆかさんブログはこちら。





【創造軸】

ありのままのわたしを受容れる。

 

 

 

皆様、おはようございます。

 

 

観察を一つ書きます。

 

 

 

昨日、仕事の昼休み頃に、

順番に社員が休憩から帰ってきている

ちょっとした、緩やかな時間、

 

 

とある企業のサービスが

社員の中で話題になりました。

 

 

その話が聴こえてきた瞬間

わたしは、その企業に社員として

勤めていたことがあるので

 

 

「わたしそこの社員でした」と

云って、その企業のことを話そうかなと

思考したわたしがいることを捉えます。

 

 

話が盛り上がっていき、

全員がその企業の

サービスを利用したことがあり

 

 

その企業の在り方を

皆で褒めていて

「すごいよね~」と話題になって、

 

 

 

それぞれが、こんなサービスがあったよ

等々、話を広げていってる時に

 

 

わたしはまた、

そこの会社に勤めていたことがあると

云おうとしているわたしを捉えます。

 

 

 

その話を云おうとしているわたしを

観ると

その話題にあがっている

褒められている企業に勤めていたと云えば

いつも、すごいねと云われる。

 

 

 

自分の価値をその企業と紐づけて

みんなから注目を浴びて

自分の価値を

上げようとしてるんやん

 

 

それいらんやつなと思考します。

 

 

自分すごいでしょって云いたいんやろ?

そうしたいわたしを

観れてる?と

自らに話掛けます。

 

 

そして、特に皆の話にはその時には

入ることなく

あとで観察しよ~と思いつつ

仕事をはじめました。

 

 

 

その後

昨日の神寄木賀集ゆかさんのブログを読んで

結構、周波数帯域が動きながら

ブログを読んでました。

 

 

「自分すごいねん」

「特別やねん」の意識や

自分をアピールするところ

ゴリゴリあるな、、、と。

 

 

色んなカテゴライズをして

色んな世界や人とくっつけて

自らの価値を認めてよ

特別やでとするところ

あるな、、、と捉え

 

 

周波数帯域がめっちゃ動いた。

 

 

さっき書いた、とある企業の話は

その企業に勤めていたことを話せば

○○会社の社員であると

カテゴライズすれば

これまでの体験からは

 

 

皆がわたしに色々訊いて

「すごいね~」と云ったり

わたしに注目しているような幻想を

観ることができ、

 

 

自分の価値がその企業の話をすることで

上がっているような

錯覚をすることができます。

 

 

そうやって、

ある一面だけを観せて

印象を操作できているかのような

幻想世界で生き、

 

 

それがわたしであるかのように

創り上げてきたのが

これまでのわたしやんと。

 

 

今も継続中やんと、、、。

 

 

 

 

こういう話になると

「母」という役割であったり

「家族」というカテゴライズも

簡単に思い浮かびますが

 

 

 

「家族という特別」のカテゴライズをしていた

元家族の、

 

 

わたしと、娘、元旦那は

同じ場で生活していながら

全く観ていた世界が違ったということを

 

 

 

身に染みて経験しているので

(簡単に書くと

わたしは家族仲良し!大好き!の

幻想を観て

元旦那はめんどくさい!お前嫌い!という

投影をしていた)

 

 

 

全く違うものを観てるでと

盲目にしていたところを

ガイド達に突きつけられた時は

その幻想を使えなくなったことに

怒り、

かなりの衝撃でしたが

 

 

今は「家族」というカテゴリーも

幻想を強める一つであったなと「冷静な時」は

観ています。

 

 

そして、まだ完全にはその幻想から

抜けきらず

 

 

ふと、「家族」というものに

投影をし

 

 

周波数帯域が動き

苦しくなることが、今もありますが

 

 

 

どんな時に

その幻想を使おうとするかも

観て気づいているので

 

 

 

しっかりとその幻想からも

抜け出して

そして、

沢山のカテゴリーと結び付けている

わたしを乖離させていき

 

 

乖離した時に残る、

ただ在るわたしを

自らが受容れられるように



カテゴライズしている

わたしも、いまのありのままなので

受容れるつつ

 

 

鏡の法則の創造構造を

観て捉え、調えていきます。

 

 

 

言葉の端々に

「承認欲求」が出るなと

自らを観察しつつ、

 

 

ブログに書かれていた

 

 

「認められよう」とするのではなく、『鏡の法則』の

創造構造へ、意識の在り方を「律する」ように

「調う」流れを創る 「一律」の観点を捉えて―。

 

 

ここをコツコツと

行動グラウンディングしていきます。

 

 

 

読んでくださりありがとう。

またね。