神寄木賀集ゆかさんブログはこちら。

 

 

 

 

 

【創造軸】
逃げないわたしを創る。


皆様、おはようございます。

 

(わたしのブログはどんなことを基本書いているかは
最後尾に書いてますので良かったら
読んでみてください)





神寄木賀集ゆかさんのブログに



早く「苦」を超えたければ、自我の「抵抗振動」を
「超える」振動、即ち「自覚する」という
「進化への決定だけを、真っ直ぐフォーカスする」
「強い振動の気」を放ち、「抵抗」を超え
「決定へ行動グラウンディング」するだけです。

「いやだ、やりたくない」と御自我様が抵抗し、
「わたしが、何でこんな事しなきゃいけないの」と
反発しまくっても、更生施設の統括責任者観点、
或いは生命を守る医師の観点の如く、
「幻想を抜く治療を最優先」で、スルーして、
「苦」があろうとなかろうと「行動しますよ」と、
「やる・する」決定へグラウンディングします。



と、ありましたが


「幻想を抜く治療」がガンガン
到来するといいましょうか、、
現実の「事象」を使ってもですし
記憶を使っても、
最近激しく、ガンガンと到来します。


簡単に湧きでる、記憶の幻想。
幻想の宝石箱や~。
(謎にこの言葉が脳内リフレインするので書いてみた。
書いたけど、ただサブイだけやん)


今月の最初に
傷をえぐる「母の日」というのがありました。
(わたしだけか、、、)
一般的には感謝を伝える日等で
喜ばしい一日なのかもしれませんが


わたしにとっては「周波数」の炙り出る
一日でした。


わたしの誕生日の日に一度
娘からはおめでとうの一言メッセージがありましたが
それ以降は、音信不通。


大学生にもなったし
忙しく過ごしているのだろうと思考します。


そして、先日の母の日
夕方にLINEギフトと共にメッセージカードが
娘から届き、


「いつもありがとう。」の言葉と、
その他のメッセージが添えられていました。


「いつもありがとう」は
母の日の定型文かと思うのですが


この言葉に、果てしない投影が始まる。。。


何もしてあげられていないのに
いつもありがとうって、、、。


そして、この言葉を引き金に
娘の1~2歳頃の映像が
走馬灯のように流れ


はじめて1歩を踏み出した日のことや
ママ~と足元に引っ付いて
離れなかった日々


わたしが最初に家を出た時には
寂しくて、泣いたこともあったとの言葉等々が
次から次へと思い起こされて


鳩尾を鷲掴みされているかのように
痛くて、苦しく、


ほんの一瞬なのに
かなり強烈な幻想の投影を
簡単に引き起こすことができる状態になります。


めっちゃ記憶使ってきよるやん。と。


その半分、嵌ってるで!!!と
大きな声で呼びかけて
冒頭の「宝石箱や~」くらい(いらんやつ)
しつこく、鳴り響くわたしの声も聴こえてきて
一瞬で、戻ったり。


この記憶が湧き出るのは
バイトの帰りだったり


色々と向き合おうとして
キツイな、、、となっている時に
出てくることが多いです。


そんなわたしを観察しました。
(観察せずに終わろうと思いましたが、、、)


大学生にもなったし
忙しく過ごしているのだろう
という思考の言葉は
このブログを書きながらサラッと出てきたのですが


このような言葉で流したり
誤魔化して、現実を観ないように「蓋」をする
ことをこれまで大量に行ってきて、


今のわたしは、こういう言葉を逃さずに
痛いけれども
ガンガンわたしへ、
突きつけていくようにしています。


大学生にもなったし
忙しく過ごしているかは、
予想であり、わたしからは娘の状態は
観えないので実際はどうかはわかりません。


母から聴く様子によると
アルバイトもしているようだし
大学のカリキュラムからも
忙しいということも予想はできますが


こう捉えたい自我がおり、
忙しいから連絡がないと思う方が
観なくてすむことも多いし
痛むこともないので、楽です。


実際は別々の道を歩んでいて
何かのイベントがある時以外は
ほぼ交わることのない世界に生きています。


ここを、認めないわたしがいる。


この「幻想」に嵌らないためには

「共通事実」や
「具現化されている事実」を
しっかりと観て、進んでいく。


今は互いが互いの道を行くを
選択している「現実」がある。

 

 

ここをしっかりと見据えます。


自我が向き合うことに「抵抗」したい時に
隙あらば、こういった「元家族幻想」を
使ってくるので

ガンガンスルーして
自らを引き戻していくことを
ひたすらコツコツと実践していきます。


以前から書いている
「観護る」という究極の尊重という
行動グラウンディングを
ひたすら実践していきます。


ちょっと、纏まりのない文章になりましたが
大きな幻想案件は
自我の思考の観察に嵌りやすく


ブログで書く時間だけでは至らないな、、、。


しっかりと向き合って
観察してみます。



逃げずに、超えて行く。


逃げないわたしを創る

を徹底していきます。

 

 

囚われたら離岸流って言葉が

浮かんだな。。。



読んでくださりありがとう。
またね。
 

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自らがどのような「意識」を使って

「現実」を生きているのか

わたしの「意識の在り方」を

「観察」した事を

「観察ノート」というものに

毎日書いています。

 

 

この「観察ノート」を書いているのは、

神寄木賀集ゆかさんの

GATEセッションというのを

わたしは受けていて、

そこで、

「観察ノート」の書き方等々を

教えていただき、

わたしが書いた

「観察ノート」を使って

セッションも繰り広げられています。

どのようなセッションかは

ここでは割愛しますが

 

時々ブログでセッションの様子を

書いたりしていますので、

良かったら読んでみてください。

 

 

 

「観察」をすると、

「二元構造」を使っている

わたしの「意識の在り方」が

観えてきますので、

それを「一元構造」(いわゆる覚醒)の

 

「意識の在り方」へ変更していくための

 

 

「行動グラウンディング」を

実際に「現実」で

「体現」していく

という事を目指しています。

 

 

 

その「観察ノート」に

 

書いている事を

ブログ用に書き換えて、

そして、

実際に「行動グラウンディング」を

体現していく日々を

「綴る」ブログを

日々書いていこうとしています。

 

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