この世界は豊潤だ。
嬉しいことも悲しいことも、残酷なことも、無償の愛も、溢れている。
やりきれないニュースに苦しくなっても、わたしは『半沢直樹最終回』で笑う。
ああ面白かった、と笑う。
そんな自分を許してもいいと思ってる。
嫌なことってある。
落ち込むことも、腹がたつこともある。
自分には価値が無いと情けなくなったり、不安になったり、焦ったり。
きっと、どんなに素敵な人だって、才能に恵まれていたって、人から愛されていたって、誰にだってそういう瞬間はあるんだと思う。
消えてしまいたくなることもあるんだと思う。
わたしも、たまにだけど、そういう時がある。
みんなもっと頑張ってるのにわたしは何もしていない。
人生を浪費しているんじゃないか。
わたしには何もない。
なんて。
そう思うときがある。
だけど、しばらくすると浮上する。
落ち込んでいたときと、何かが変わったわけじゃない。
相変わらず勉強も運動も仕事もしていない。
家事もいいかげんだし、子どもの相手も雑なまま。
新しくチャレンジもしていないし、努力もしていない。
なんとなく、浮上する。
ぐっすり眠ったり、おいしいご飯を食べたり、テレビをみて笑ったり、そんなこんな、あれやこれやでいつのまにか元気。
わたしのことをダメなヤツだと思う人がいても当然だと思う。
わたしもそう思うから。
だけど、いいんだ。
わたしには自信がある。
自らを信じてる。
なんで信じることができるのか、我ながらずっとわからなかった。
根拠無き自信だな、なんて思ってた。
だけど、最近はちょっと違うように思う。
根拠はあったのかもしれない。
わたしが自分を信じられるのは、自分に自信が持てるのは、わたしの周りの人が、目にする人が、関わる人が、それぞれに凄いから。
だから、鏡に反射するように、自分のことも信じられる。
こんなに素晴らしい人にかこまれているのがわたしなら、そんなわたしも捨てたもんじゃないだろうって思える。
わたしはケチで嫉妬深くて怠惰だけれど、みんなはそうじゃない。
勤勉
寛容
誠実
……
さまざまな他者の美点が、よく晴れた日の秋の風のように、気持ち良く心を揺らして、わたしの生きる気力になる。
思いもかけないような優しさがある。
たとえばわたしは『鬼滅の刃』が好きで、ブログでも何度か『鬼滅の刃』関連の記事を書いた。
そうしたら
フォロワーさんがわざわざ「くら寿司『鬼滅の刃』コラボのクリアファイル」を贈ってくれた!
こんな嬉しいことがあるなんて。
信じられないような思い。
でも、こういうことはこれが初めてではない。
以前には『ゴールデンカムイ』のブックカバーを贈ってくれた方もいた。
誤解を恐れずに言えば、クリアファイルやブックカバーがすごく嬉しい贈り物、というわけではなく、
「ridiaってアレ好きだって言ってたな。あげたら喜ぶかも」
そう思ってくれた、その気持ちがなによりもありがたく嬉しく、尊貴に感じる。
だって、彼女たちにはなんのメリットもない。
手間がかかって面倒で郵送代がかかるだけ。
何の見返りもない。
大損。
わたしが喜ぶ、それだけ。
それだけなのに、思いついて、行動を起こしてくれた。
善意しかない。
無償の愛しかない。
家族でも恋人でもない、顔も知らないわたしのために。
物だけじゃない。
『聖闘士星矢』や『ジョジョの奇妙な冒険』や『銀英伝』の何かがあったとき、漫画や小説のあれこれがあったとき、わたしを思い起こしてくれる。
名古屋でなにかがあったときに「そういえば……」と気にかけてくれる。
そういうことが嬉しい。
誰かの心の片隅に、わたしは輪郭をもって存在している。
ささやかなカケラかもしれないけど、でも、いる。
そして、こういうことはわたしに限ったことじゃなく、誰もが持っている関わり合いだ。
それぞれが誰かの心の片隅に、誰かのカケラを持っている。
持ち合っている。
わたしの心の中にもいろんな人のカケラがある。
いろんな輪郭がある。
なんて豊かなんだろう。
ほんとうに、世界は美しい。
内容も、言葉の選び方も、文章のリズムも素晴らしい。
とても好き。
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