旅日記はひとまず置いといて、ブログネタ。
言うほどのスペシャルなエピソードはない。
普通の妊娠、普通の出産、普通の育児でした。
でも書く。
まだ記憶しているうちに記録しておこうかと。
特別じゃないだけに、忘れそうだし。
1人目。
深夜にお腹が空いてカップ麺を食べたら、陣痛の気配。
痛い?これって陣痛じゃない?痛いよね?と半信半疑。
だって陣痛なんて人生初だから。
正解か不正解かわからんよ。
しかし激しくなる痛み。
痛くなる感覚も短くなる。
これアレだ。陣痛だわ。
陣痛が来たらどうするか、ハンドブックやらネットやらでチェケラー!
痛みが弱いうちに風呂に入っておくと清潔でいいよってあったんで、お風呂に入る。
入院準備はしてあったけど忘れ物が無いか再度確認する。
どんどん痛くなる。
そうこうしていると朝。
8時頃に病院に電話する。
痛みの間隔を伝えると、初産は時間がかかるから開院する時まで待てそうなら待ってと言われる。
なんとか待てそうな気がするので待つ。痛みでたまに気が遠くなる。
自宅から徒歩10分弱の産婦人科に開院と同時に夫に自動車で送ってもらう。
子宮の開き?をチェックしてもらう。
まだ余裕があるらしい。
もっと切羽詰まるまで部屋で待機。
全室個室の産婦人科なので自分の部屋に行く。
座薬だか浣腸だかもらって(どっちか忘れた)出すもの出すように指示される。
(出産時ウンコさんも同時にコンニチハはメジャーな出来事。関係者としては出来るだけ被害を食い止めたいのでしょう)
個室にはトイレも完備してあるので、そこでいたす。
……と。激痛。
トイレで激痛。一瞬ブラックアウト。
痛すぎてウンチが出たのかお尻を拭いたのか覚えてない。
夫に助けを求めたのか自力でナースコール押したのかも覚えてない。
気がついたらまた子宮の広がりをチェックされてた。
(痛すぎで移動の記憶が抜けてる)
初産なのに充分な拡がりに。
ってことで分娩室へ。
「ダンナさんも来て!」
と言われ、夫も入室。
立ち会い分娩するつもりなかったのに流れで立ち会い出産になった。
(立ち会いしないつもりだった理由:恥ずかしい。ショックでEDになられたら困る。居ても役に立たなさそう。⇦ナチュラルな畜生発想)
そこからは陣痛に合わせていきんだりいきむのを我慢したり。
わたしはこのタイミングがことごとく合わず、声をかけてくれる助産師さんを困らせた。
音痴でリズムがとれない人間はいきむタイミングもとれないらしい。なんかズレる。
出産エピソードまとめサイトで面白エピソードを読み漁っていたので、自分も何かグッとくるセリフを叫んだり急に歌い出したりするのかな?とおもっていたけれど、とくに叫ばず、地味に「……うう」とか「ああぁ…イタ…痛い……」とか言っていた。
ハジけるタイプの妊婦は「もうやめるー!」「ユリアァー!(なぜか北斗の拳)」「覚えてろよチクショー!ぶっ殺す」「ケーキじゃない!スイカだ!」などなど一生の思い出になるような限界突破っぷりを披露しているというのに。
骨盤の問題かなんなのか、産まれそうであと一歩届かない状態が続く。
産婦人科医の先生が手を突っ込んでグリグリやるけど出てこない。
あんまり長くやってると赤ちゃんも疲れちゃうので文明の利器(吸引器)に頼ることに。
最終的にすっぽん(吸引)で赤ちゃんを引っこ抜いてもらい、無事出産。
無事っていうか、裂けたが。
会陰切開はね、した。
出産の時に膣がギザギザに裂けると治りが遅くなるので、ハサミでジョキジョキ。
切ったほうが縫いやすい。縫いやすいときれいに治りやすい。
そんなわけで出産中にジョキジョキ切ったんだけど、切った以上に裂けた…
切っても結局裂けるんかーい。
切るときは陣痛の痛みでハサミで切る痛みがわからないんだけど、あのジョキジョキって音は怖かったなあ。
そして体を切られているのにそれどころじゃない!っていう出産の凄まじさよ。
いつのまにかいた実母が「五体満足な赤ちゃんだよ!指も5本あるよ!」とワーワー言っていた。
そういえば途中から頭上で「頑張れ」て言ってたな。
うるさいな、がんばってるよ、と思ったり。
出産中、夫の手を握ったりもしたけど、ベッドの棒のほうが握りやすいって思っちゃったり、どうしてもハートフルになれないわたし。
さすがに産まれてきた赤ちゃんと初対面したときは感動した…感動したけど、え?!って言うくらい夫にそっくり!
生き写し?
もしやクローン?!
自分のお腹から出てきた生命体が夫という(遺伝子的に)他人にそっくりなことに衝撃を受けた。
それにしても、良かった。やっと出産終わった…
と思ったら。
「後産しましょうねー」
お腹の中に色んな残ってるモノがあるとダメだから、胎盤やらなんやらを出さなくてはいけない。
うっそ。まだ終わらないのぉ〜
一度安心した分だけキツい。つらい。痛い。
しかし泣き言言ってる場合じゃないから涙目でがんばる。
テンション下がってからだから、この後産がキツかった……
そして縫われる会陰。
(さっき裂けたアソコ)
これまた痛い。
個室に戻ったら、11時くらいだったかな?
出産は10時過ぎくらいだったと思う。母子手帳確認したらわかるけど、まあそんなかんじ。だいたいね。
すごく長く感じたけど、陣痛を感じ始めてから10時間〜11時間で産んでる。
病院についてから2〜3時間しかたってない。
安産じゃん。
という初産だった。
オマケ
入院準備ででっかいナプキン用意してたけど、予想をこえて出血が激しく多く痛みもあって、準備したのでは足りなくなった。
夫に頼んだら「できん!そんなものは買えん!」と稲中の井沢ばりの勢いで断られ、進退窮まったことがある。
(大病院じゃない個人産婦人科だったので院内に売店なんかない)
そんなとき親友がお見舞いに「何か必要なものある?差し入れするよ」と言ってくれたので、でっかくてふわふわで肌に優しいナプキンを頼んだ。
すぐさまリクエスト通りのブツを差し入れてくれた喜び、プライスレス。
稲中の井沢のお断りの勢い
コレをやられたら二の句がでない。
産後の体調
普段使わない筋肉を使い緊張マックスで全身に力を入れていたのでしばらく寝返りも苦しいほどの筋肉痛になった。
骨盤が爆発するような痛みだったので、下半身に力が入らず、歩くとヨロヨロした。
悪露(血が出る)は2ヶ月以上あった。
でも1ヶ月検診では順調に戻ってるって言われた。
シミができやすくなった。
抜け毛もハゲしかった。前髪めっちゃ薄くなった。
髪の毛は抜けるのに体毛は濃くなった。
ビーチクの色も。乳輪なんかふた回りはデカくなった。
(授乳やめたらビーチクは戻った。乳房のハリは戻らなかった)
ビーチクは赤ちゃんの吸引力に負けてカサカサになるわ皮がむけるわ切れるわで血が滲む日々。
オパーイはガチガチに張ったり、乳腺炎になったり。
吸われたままあっちこっち引っ張られたり。
そこまで痛い思いをしているのに赤ちゃんの体重はあんまり増えなかった。
メンタルは物凄く不安定になった。
ときどきどうでもいいような些細なことで怒りが爆発したり、急に泣きたいほど悲しくなったり、不安になったり、神経質になったりした。
(半年くらいで落ち着いた。…いや、1年くらいかかったかも)
1ヶ月は床上げしない、ってことで、1ヶ月検診までずーっと布団の中にいた。
ずっとパジャマ。
来客がある日だけ着替えてた。
でも身内度が高い人の場合はすっぴん。
産後1ヶ月で化粧したのは数えるほど。
そんな調子なのでもちろん家事はしない。
コップ1個も洗わなかった。
なんならコップを持ち運びさえしなかった。
里帰り中は授乳して赤ちゃん抱っこしてたまにオムツかえしてただけ。
上げ膳据え膳。
オムツかえすら、実家の人々がみんなやってくれていた。
初孫で大フィーバー。
休みの日に訪れた夫もやっていた。
今までの人生で頑張るということとは無縁だったridiaが初めて(出産は)頑張った、という評価。
2人目。
深夜にカップ麺を食べていたら陣痛が。
(またかよ)
1人目の時と同じような流れだけど、1回目とは違うことが起きた。
布団に横になっていたら、お腹から
「ぱちん!」
という破裂音。
温かい液体が流れる気配。
は、は、破水だー!!
破水がおきたらもう一刻の猶予もない。
風呂に入ってる場合じゃない。
バスタオル巻いて夫の運転する自動車で病院に急ぐ。
この時タイミング悪く、上の娘は風邪引きさんだった。
病児は産婦人科に連れていけない。
実家の母に電話して上の娘の子守を頼む。
夜中に叩き起こされてギャン泣きする娘。気の毒だけどしょうがない。退院までジジババとお利口にしておくれ。
出産の流れは似たような感じ。
2回目だからって痛みが減るなんてことはなく、相変わらず音痴でリズムがとれなくていきむのが下手だし、すっぽん(吸引)の助けもかりた。
ただし前回ほど緊張しなかったせいか、筋肉痛はなかった。
会陰も裂けなかった。(会陰切開はした)
2人目も夫のクローンだったけど、ちょっとはわたしにも似てた。
年が離れてしまったので、この時点で上の子は幼稚園児。
幼稚園に行かなくてはならないので、2人目は里帰りしなかった。
そのかわり実母と義母に産後の世話に通ってきて貰った。
上げ膳据え膳だ。
さすがに2人目ともなると、コップは洗った気がする。
上の子の相手もしないわけにはいかない。
1人目の時のようにずーっと布団に寝転んではいられなかった。
と言いつつも、幼稚園の送迎も義母実母(ダブルおばーちゃん)に頼んでたけど。
手も目も離さない育児
とにかく赤ちゃんのことは誰かが見ていた。
母親であるわたしはたいてい手を伸ばせば赤ちゃんに触れられる場所にいた。
あるいは抱っこしていた。
トイレの時もドアは閉めない。お風呂も。
夫やおばーちゃんたちがいて見てくれるときは閉めてた。
赤ちゃんから幼児になる頃まで、視界のどこかにいないと安心できなかった。
危険や痛みや危機を言葉で伝えられるように、おしゃべりできるようになるまでは、目の届く場所に。
上の子も下の子も幼稚園入園くらいまでは外を歩くときは常に手を繋いで歩いた。
振りほどくそぶりをみせたらぎゅっと力を込めた。
歩道でも手は離さない。横断歩道はとくに。
「クルマに気をつけて」
「右左右、ちゃんと見て。信号が青でも突っ込んでくるクルマがいるからね」
「歩道も自転車がくるからね」
「交差点では黄色い線(視覚障害者タイル)より離れて」
「前見て。走らないで」
しつこくしつこく言っている。
子どもなんだから転んで膝小僧に擦り傷つくるくらいはいい。
そんなもんバンドエイド貼らなくったってかまわない。
鼻血出すくらいどうってことない。
でも、それ以上はダメだよ。
過保護かもしれないけど、公園に親の付き添い無しで行かせられるようになったのって、わりと最近。(上の子は4年生)
小学生でも低学年の頃はわたしも一緒に公園に行った。
公園、家からめっちゃ近いけど。
でも、物騒な世の中だから。
今でも本当はちょっと心配。
心配しすぎかな、と思うけど。
下の子は幼稚園児なので当然今もいっしょに公園に行ってる。
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