書くこと、感じること、考えること、そしてまた書くこと | ペーパー社会福祉士のうたかた日記

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社会福祉士資格をとるまでと、とったあと+α。浮世のつれづれ、吹く風まかせの日々。

2011年ごろの駄文に「いいね!」がついていて、びっくりして読み返してしまった。

 

読み返してみたらまあなんていうんでしょう、恥ずかしいったらありゃしない。今だって大してうまかぁないけれども、こんなのに時間をとって読んでくださって、ほんとに申し訳ないというのと、ただただありがたい。心底ありがたく思う。

 

どこで出会うかわからないけど、こういうのってほんとに嬉しい。恥ずかしいけど、わしの生きた過程はこれからも削除しないでとっておこうと思う。

 

社会福祉士国家試験対策をやらなくなったいちばんの理由は、合格基準のひどさ。

 

90点といってるのに、70点台があったり100点越えがあったり、低いのはまだいいとしても、高すぎると、過去3年程度のデータがあてにならない。受験生の正当な努力と合格がかみ合わなくなる。講師としては舌先三寸で丸め込むしかなくなるが、でもどうしても言い訳が混じる。信頼がなくなる。そんなこんなで、「もうこの試験に公正性と公平性はないな」と見切りをつけてしまった。

 

あともう一つは、社会福祉と政治に文句をつけるのはイコールなのだけど、もうなんていうか、文句言うのも無駄だっていうか、徒労っていうか、こんなの見たことない、ここが底だっていう底がどんどん深くなっていく。絶望しかない。

 

故人に文句をいうのは恐縮ですけど、アベノミクスが最底辺だと思っていたら、もっとヒドイ岸田が出てきた。こいつぁヒデー。異次元の少子化対策とか言っちゃって、、どこに行くんだよ笑

 

岸田は見てくれはともかく、やることなすこと、もう口の端に乗せるのもヤなくらい、今まで見た中でも群を抜いてヒドイ。無策ならまだしも害悪になるようなことしか言わない。何よりも厚生労働省にまた加藤なんかを担ぎ出すとはね。これだけでも国民1億2千万の生命と財産なんざドーデモいーんだという思想が丸わかり。

 

そんなこんなで、問題意識を持っていると精神衛生にかかわるということが、わしの視線を目いっぱい下げさせ、半径1mあたり(フルポン村上的な…)が見えていてあとはうすぼんやり、というエリアで自己防衛をはかっているというわけ。

 

でも、これからまた少し書こうかな、という気にもなってくる。

 

最初のころから読んでくださっている方々は、変わらず痛いほど真剣に生きていて、暮らしていて、怒っていて、憤っていて、倫理観や人間観を引き裂かれそうになりながら、でも「これは違う」と言い続けている。わし、弱気になってる場合じゃないんじゃないかと。。

 

感じたり、考えたりすることを放棄してはならんのだ。

 

いや、日々感じたり考えたりはしているんだけど、内側だけではなく、社会とのつながりの中で、関係性の中でのそれも、やっぱりほっといてはいかんのだ。

 

書くのはなんのためなんだろう。

わしゃ作家じゃないんで、内発的な動機付けもちっとはあるけれども(受験生は『心理学』でやります)、率直に言えば、ほめられたい、誰かに認められたい(外発的動機づけ)ってのが根底にあって、そのツールだったりもする。どっちもありだ。どっちだって、書くことが楽しいことにはかわりはない。

 

ぐずぐずいう前に書けよって話だよね。

書きもしない理屈は行動を妨げる。理解を妨害する。イイコトいっこもないんだなー

 

過去を思い出すと、わし黒歴史しかないって思うけど、それでもいつも一条の光が射し込んでいたのは、こういう表現の場があったから。こんなチンケなわしにもできることがあるんじゃないかと思えるから。大げさじゃなくね。

 

なんかね、思いがけない「いいね!」いただいて、止まってた何かがカチッて動いた感じがしたよのさ。ほんと、ありがたい。

 

無人の荒野に向かって吠えるのもいいけど、わしは「あいつまた吠えてるなー」といった誰かの反応が嬉しくて、今日も今宵も吠えるのだ。

 

ありがとうございます。

今年はもうちょっと更新の頻度を上げたいと思います。

 

あっ、そうだ。

明けましておめでとうございます。

↑これもまだだった笑

 

ricorico1214