「ファン」の立場とグリーフケア | ペーパー社会福祉士のうたかた日記

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社会福祉士資格をとるまでと、とったあと+α。浮世のつれづれ、吹く風まかせの日々。

その昔、5×10くらいですかね、
ジャニーズのファンをやってたとき
周囲の「ファン」のイメージと、
実態がまったく違うことを知った。

世間ではジャニファンといえば、
温厚で聡明な対象者を怒らせて
傘を投げつけられた距離感0女、
新幹線をとめる危険非常識女、

結婚した!裏切ったのね!と
凶暴なアンチ化するカン違い女、
ダンナの稼ぎで追っかけしまくり
海外遠征までする無職主婦女、

とまあ、
こんなイメージをもたれてるけど、

こういう珍獣みたいなバカ女って
ファンの中でもほんの薄ら一握りで、
残りの大半は、純粋に、精一杯、
「応援している」子たち、である。

プロ野球ももちろんそうだし、
舞台やミュージカルでもそうだけど、
応援って感情には混じりけがない。

『球辞苑』で定義していたけど、
ほんと、こんな無償で純粋な感情は
愛じゃないか、と思うときがある。

ファンというのはいちずで真面目だ。

相手にとっては、自分の存在が、
「ファン」という一括りであっても、
場内を埋め尽くす観客の一人として
瞬間を共有するために出かけていく。

笑顔でいてくれたらうれしいし、
失敗したら「大丈夫かな」と思う。

この人と同時代に生まれてきた奇跡、
この出会いのすべてに感謝しよう。
この人がいてくれるからがんばろう、
この人がいてくれる限りがんばろう。

「ファン」とはそういうもの。

明石家さんまの名言を借りれば、
「明日、大阪か神戸で会おうよ」で
旦那や彼氏は来やしないだろうが、
ファンは来る、ファンなら来る。

そして、
大半はこの熱狂を外には出さない。
永遠に孵化しない卵のように、
ひっそりと心の奥にしまっている。

だから、時として、
「ファン」にとっては、
対象者が、家族や配偶者よりも、
精神的支柱になっている場合がある。

それがいきなり失われてしまったら、


『世界はほしいモノであふれてる』、
そこでの彼に私のもっていた印象は、
風景やモノや色彩や手作業に対して、
感覚に語彙力がついていっていない、
もどかしさや不器用さが垣間見えた。

そして、そんな自分に対して、
どこかに常に「照れ」があるような、
美しい青年だなあ、と思っていた。

この程度のライトな好ましさでも
喪失を知ったときの衝撃は強かった。
ましてやこの人のファンだったら…

わしの個人的な感想だけれども、
現場マンションのエントランスに、
即座に献花にすっ飛んでいくって、
ちょっと違うんでないのかと思う。

「ここって人んちの玄関前だよね」
「彼だけ住んでたわけじゃないし」
「献花したら彼は喜ぶのかな」、
「これ誰が片づけるんだろう」などと、
逡巡、躊躇、のち断念する気がする。

また、ネットには、高名な先生が、
悲しみから離れ、情報を遮断して、
気分転換を勧めるアドバイスがあり、
もちろんそれに異論はないけども、

この前も書いたけど、
献花するなんて考えもつかないし、
気分転換ができるようにもなる前、
まだそこまでいけない段階がある。

朝起きてまず思い出して、
昼もふとしたときに思い出して、
夜はもちろんのこと思い出して、
「もういないんだ」と涙が溢れる。

彼の周りには、
ペラペラしゃべる親族知人がいて、
クズなマスゴミがそこに群がって、
知りたくない情報が垂れ流される。
そのたびに心は傷つき荒らされる。

こんな腐った世界に生きていたのか、
生きていてあの笑顔だったのかと、
裏側の苦悩が深く突き刺さってくる。

そしてたぶんいることでしょう、
「ねえ、死んじゃったんでしょ!」
「ほんっとうそみたいだよねー」
「娘が好きだったみたいでさー」と
カンタンに扱う職場の雑談連中が。

周りの全部が自分を傷つける。
応援していたファンにとって、
こんなにつらいことはないよ。

今、味わっている喪失の悲しみは、
大きさは、重さは、つらさは、
今までの「応援」と比例している。

この喪失から負った傷や涙は、
その人と共に、笑い、喜び、
自分が生きてきた証そのものだ。

だから、

逃げなければいけないものでも、
追い出さなきゃいけないものや
避けるべき忌むべきものでもない。

周囲の理解は得られなくて当然。
誰かのファンになったことがない、
体験しなければわからないから。

自分の中だけで、
私はこんなに彼が好きだったんだ。
でももう二度と会えないんだ。と
今はそこにいていいんだよと思う。

死別悲嘆の特徴は、
重くなったり、軽くなったり、
強くなったり、弱くなったり、
大波、小波が繰り返されること。

ただ泣きぬれるだけではなくて、
おそらく1日の中、1週間のうち、
「この人の分も生きていこう」
「忘れないよ」「ありがとう」など
ちょっと明るくなれるときがある。

そのときにすかさずまとめて、
家事とか雑用とかをやっちゃって、
また負の感情の大波がきたとき
思い切り泣けるようにしておくと、
悲嘆とうまく付き合っていける。

JUJUさんが言っていた言葉は、
実は悲嘆の真髄を突いている。

「これからもいろいろな気持ちを自分の中で噛み砕いて、私なりのやり方で、いろんな思い出の折り合いをつけていきたいです」

悲しみは生涯、消えはしない。
けど、それはいつか形を変えて、
愛しい思い出として残っていく。

それまでは、
大小の悲嘆の波にただ身を任せて
自然のままに揺られているうちに、
バランスのとり方がわかってくる。

無理をしないで。
努力しないで。

応援していたことに変わりないし、
これからも彼を応援し続けよう。
彼が生きていた事実をたいせつに。



ricorico1214