ricorico1214、Japani向けグリーフケアの巻 | ペーパー社会福祉士のうたかた日記

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社会福祉士資格をとるまでと、とったあと+α。浮世のつれづれ、吹く風まかせの日々。

※Japani:日本の、日本人の
 
わしはわりと情緒的に、安定期な時と
そうじゃないときがはっきりしている。
 
やなことがあったり言われたりされたり、
明確なきっかけがあるときはまだ、
解決する方法がないこたないが、
始末におえないのが、ようわからんとき。
 
こうなると、
昨日まではゼンゼンヘーキだったもの、
外出して、仕事してというルーティンが、
けっこうな負荷がかかるもんなんすね。
ただもうフトンかぶって泣いていたい。
 
こないだそれがとつぜん来ちゃいまして、
満員電車の混雑も、電信柱が高いのも、
郵便ポストが赤いのも、ぜんぶ悲しくなり、
なんかもう泣いてばっかりいたわけ。
 
ダンナサンはおだてたりなだめたり、
明るくなるよう頑張ってくれているのが
申し訳なく情けなく、なんだろねコレハ。
早急に改善、解消しなくてはならん。
 
って、こういうこと書くとすぐ、
メンタル系の怪しげな"いいね"がついて、
ナンちゃらカウンセラーなる方々から、
商業的読者登録申請をいただきますが、
 
なんかおかしいと自分で感知できていて、
泣く時と場所を選ぶ余裕があるんだから、
他人の手は借りずに自分で何とかします。
 
経験上、
こういうときは1人メンタリング。
問いかけと回答を自分に自分で行う。
ひとり二人羽織みたいなもんでw
 
募ってきて抑えられないこれは何か、
前に似たようなことを感じたことはあるか、
どうしたら泣かなくて済むか、などを
自分に尋ねて、考えて答えるわけです。
 
そんなねえ、
こんだけいろいろなことを経験してきて、
"今まで味わったことのない感情"なんて、
そうそうあるわけじゃないんであって、
 
ほとんどのネガティブな感情は、
記憶の中に映像とともに蓄積されている。

遠足でお菓子をぶちまけちゃったこと、
オカッパの前髪が恥ずかしかったこと、
学芸会、運動会、発表会のときのこと、
 
思春期に思ったり感じたり考えたこと、
匂いや光まで思い出して再現してみる。
 
で、今回もやってみた結果、
思い当たったこととは、
もしやこれホームシックとちゃうか?
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ホームシックhomesickness
故郷や家庭を懐かしみ、異常に恋しがる気持ち。
《デジタル大辞泉》
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"異常に"てw
まあ"普通ではない"という意味では、
異常って言われるとそうかもしれんw
 
人生初のホームシックを思い出した。
 
東京生まれの東京育ちのわしにとって、
ひとり暮らしをするかしないかの選択は、
自分に選ぶ権利があると思っていた。
 
そろそろしてみたいと思えばすればいい、
しなくていいと思えばしなくていいかと
アタマから思い込んでたら、あらびっくり。
 
社会人になって、しばらくたったあたりで、
両親の方から"親子別居"を申し出てきた。
姉はとっくに嫁に出ていたので、
文字通りこれでわし一家は離散である。
 
書くといろいろ長くなるんだけども、
親の離婚とか追い出されたんじゃなく、
いわば定年後のⅠターンみたいなので、
平和円満な別離の申し出だったのね。
 
けどねえ、
言われたときはそりゃびっくりしたよ。
しかも、話し合いの段階はすでに終了、
もう決定っつうんだからさからえない。
 
それは、
親には親の第二の人生があって、
子が関与して、選んだり決めたり、
希望とは異なることもあるということを
荒療治的に学んだ瞬間だった。
 
それからアワアワしつつ、
なんとか自立して暮らしてはいたが、
帰宅したとき、食事のとき、
何かの折に泣けてくることがあった。
 
それは、住居が変わっただけではなく、
家族で暮らした蜜月みたいな月日が、
二度と戻ってこないという実感だった。
 
なるほどね。
環境の変化に由来したホームシック。
うん、ピンときた。
 
が、次なる最大の問題とは、
家や家族があってのホームシックは、
そこに帰れば解消されるんだろうが
帰る家もなく、会える親もいないわしは、
どう治癒するんだろうねっていうね。
 
ロスの『喪失の回復プロセス』とは、
第1段階:「否定と孤独」
第2段階:「怒り」
第3段階:「取り引き」
第4段階:「抑うつ」
第5段階:「受容」
とらせん状の階段をたどるとされる。
 
わしだって、何度も喪失を体験したが、
そのたびにゆるやかに上昇していく、
自分の内面の弾力に助けられてきた。
 
けど、
ちょっと今回のホームシックにあたって、
ロスやデーケンを読み直してみたら、
どことなくカテゴライズに違和感がある。
 
間違っていると感じたわけではなくて、
該当する部分が意外と少ないかなと…
 
たとえば、第1段階:「否定と孤独」は、
信じられないという死別の衝撃は、
瞬間的に心身を貫通したのちに霧散。
「段階」ほど長くかからなかったし、
 
第2段階:「怒り」
第3段階:「取り引き」
なんでわしだけこんな目にという怒り、
回避できるならなんでもしますという
取り引き…なんて、あったかなあ?
 
どうして自分だけがどうだこうだ…とか
こうならないために善行するというのは、
脳の分野でいえば、"考える"カテゴリー。
 
両親と死別した直後のわしの脳内は、
そんな理性的な機能は壊滅していた。
 
デーケンの段階でもそうなんだけれど、
『喪失の回復のプロセス』の中には、
怒り、罪悪感、敵意、ルサンチマンなど、
"能動的な負の感情"が含まれている。
 
けど、わしの中には、
自分に向けても、他人に向けても、
その種の放出系の感情は出てこなかった。
 
失ったものがもう二度と戻らないとは、
けっこう早い段階でわかりきっていて、
そこに抵抗する意欲はわいてこない。
 
過程のどこをどう思い出してみても、
どうして私だけなんですかっメラメラむかっ
といった怒りの段階は見当たらない。

あるのはただ、
そういう身の上の自分が悲しくつらく、
失ったものがなつかしくいとおしく、
涙ばかりが流れては落ちる時期があり、
 
その次に、
自分が失ったものを持っている周囲を
妬ましくうらやましく思ったり、
失った自分を惨めに思ったりする時期。
 
これは、もしかしたら、わしがたぶん、
日本人特有の精神性保持者で、
八百万の神々の土壌に生まれ育ち、
 
理不尽な仕打ちに怒りをぶつけたり
取り引きを持ちかける対象となる、
(キリスト教的な)神がいないから?
 
こういう中で、グリーフと向き合うとき、
悲嘆の回復の段階のひとつひとつは、
日本では、日本風にアレンジした方が、
なんかしっくりくることもあんのかなと。
 
つうか、
わしがそうだというだけなんだけどw
 
キリスト教的思想の土台がある国、
そうでない国の違いはけっこうデカくて、
人生観や死生観にスゴイ開きがある。
 
だから、日本人の、日本人による、
日本人のための日本風グリーフケア。
"キリスト教でも仏教でもないケア"って
けっこうニーズはあるんじゃないかね。
 
とか、こんなことを考えているうちに、
ホームシックもグリーフもなくなって、
書店に立ち寄っちゃあ漁っとるがなw
 
わしの尊敬するとあるケアマネさんが、
いろんなことが起きても、次に生かす、
「転んでもただでは起きない」と
ユーモラスに書かれていたことがあり、
 
そこに感銘を受けた成果として、
何か自分に起きたときは、かならず、
そんだけで終わらせないぞって思う。
 
つうことで、
関東地方は厳寒の日曜日。
皆さまよいお休みを。
 
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