舞台「君死にたまふことなかれ」を観てきた | ペーパー社会福祉士のうたかた日記

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社会福祉士資格をとるまでと、とったあと+α。浮世のつれづれ、吹く風まかせの日々。

■エアースタジオプロデュース公演■
『君死にたまふことなかれ』


太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦後…
戦時中軍事工廠だった場所に挺身隊だった彼女達は集まっていた…。
丸山多恵が当時書き続けていた日記を本にしたいと皆を集めたのだ。
戦時中、女子挺身隊として働いていた彼女達は
それぞれの過去を振り返るのだが…

脚本:野口麻衣子
演出:小林秀平
2012/2/8(wed)~12(sun)
東日本橋AQUAスタジオ
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女性、女の子たちの戦争を描く作品である。
戦時下、銃後というテーマ、女子挺身隊。

脚本家も苦労したんだろうなと思う。
テーマとしてはドラマチックだけど、
戦時下という舞台は生活の場で「日常」だから、
工場に来て、作業しては帰る、の繰り返しである。

だからその中に、脚本家は、伝えたいことを、
現時点、現代の観客から見たら全体と異質なもの、
かつその時代では常識的な価値観、
それを背負うエピソードや、キャラクターを配して、
その異物感が混交する中に、表現したいことを構築していく。

この脚本を成功させたのは、尾崎冬子である。
挺身隊リーダーという立場の彼女は、
出てきた瞬間、あ、他の子とはまったく違うな、とわかる。
飛びぬけて美しい容姿と迫力、なんたって和装が似合うのなんの。
モンペはいても竹やりついても美人ってすごいw

彼女だって若くないことはないのに、
他の少女と仲間としてはいられず、
指導する立場として、決して横に並べ(ば)ないのは、

彼女自身の叱咤となり、励みとなり、自負となり、
全員の手本とならねばというたたずまいは、
たぶん、現実の彼女も、稽古場でそうであったかもしれず、
その緊張した距離感が、終始とてもよく伝わって来た。

物語を成立させているもう一人は、林学課長である。
ともすれば和やかに善良に「堕して」いく工場の少女は、
林、という男性、によって、
今は戦時であることを否応なしにつきつけられる。

少女の中での男性は、それだけで異質で異物であり、
でも林学課長は、性別だけにとどまらず、
想像という遠い距離にある戦地を、
瞬時に工場に運んで目の前に再現する存在である。

これがほんとにおっそろしいんである。
少女たちを容赦なく足蹴にし、怒鳴りつけ、
竹やりつかせる場面なんざ、ほんとに狂気の沙汰。
舞台と客席が近いから、
眼鏡の奥の形相がリアルにすさまじいのが丸見えで、
目つきも完全にイッちゃった風。

病弱なんてヤツはお国のためには害悪なんであって、
てめーら余計なこと考えんじゃねーよ、
というあの時代の理想的な気概は、こんなだったんだろう。

大人2人+少女たち、という図は、
そのまま、戦時下vs.少女たちである。
この両輪なくしてこの劇は成り立たない。

冬子さんキレイだったなーほんとに。
同窓会では軍医か林と結婚しててほしかった…


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それでも、脚本全体が成功しているかというと、
疑問に感じたり、多少の違和感があったことは否めない。

冒頭、終戦後の同窓会で、早苗ちゃん、という子が、
この中では理由もなく来ていない、ことが告げられる。
観客はその「あるべきなのに欠落している」存在を、
進行していく物語の中のささくれのように感じながら、
終幕でその「種明かし」がされるのだが、

早苗ちゃんの幼い演技力もあって、
長い心理的な葛藤と後悔があったことが、
どうしても伝わりにくくなってしまう。

二十四の瞳、を持ちだすのは酷かもしれないが、
あれも終幕で、ソンキが号泣する場面があって、
マスノの歌う『荒城の月』だけで、すべて伝わる。
台詞で「説明」することだけでは説得できない。

台詞で説明することの功罪は、
しおりちゃんの最後の手紙もそうだし、
多恵にはただの同窓会でない(目的がある)こともそうだし、

劇中、すべての台詞が詩である必要はないが、
それでも、である。

それと、
終戦後に戦時下を思い出す、という回想方式はいいとして、
最初に場面転換が二度ある(終戦後→戦時→終戦後→戦時)のは、
観客がその意図をはかりかねて困惑する。

狭い舞台で短い時間で、2回も現実と過去を行き来するのは、
観客もだが演者にも負担で、衣装替えなんかたぶん、
年末の隠し芸なみの早技を要求されたことだと思う。
それをストーリーとは別のところで、
観客にたいへんだなあと思わせるのは、望ましいとは思いづらい。

それにしても、泣く、叫ぶ演技は難しい。
恐怖や葛藤や悲しみを、演じて伝えるのは難しい。
自分がそう感じていることを表現することはできても、
観客がそこに共感できるかどうかは、技巧であり、技術だ。

月影千草のご託宣によれば、
マヤ、あなたが風になってはいけません。
私は風を演じろとは言いましたが、
風になれとは言いませんでしたよ。(『ガラスの仮面』)

演劇って難しいなーと、再認識する作品でした。
才能あるとはいえ、若い女の子たちが、
それこそ日常をはるかに超越したこういう作品に取り組むのは、
精神的体力的に、とても消耗するだろう。
同時にどんどん成長していく期待感があって、
次回再演されたら、また同じ配役で観てみたい。

あきちゃん。まん丸い目が可愛かったー

マリコさん。憎まれ役の正論が似合いでした。
この方、現代と過去の衣装と中身の切り替えがすごい。

坂本くん。猫背と足の引きずり方、ぼそぼそしゃべる話し方、
冬子「坂本君、文学の話をしなさい」「好きな作家は誰ですか」
坂本「与謝野…晶子…」(ちらっと冬子を見る)
こういう気弱な感じ、相手の反応を窺うしぐさがほんとにうまい。
素でやってるんですかね?
『オサエロ』以降、この方にはこのイメージが定着しつつある。
悪役とかスネオとかも、見てみたいです。

再演時、また観に行きます。
皆さま、ありがとうございました。