起立性調節障害の娘と一緒に
楽しい毎日を過ごしているアラフィフ、
家事より子どもと遊ぶのが好きなRico *です。
🌟自己紹介
今日もブログを訪問していただき、
ありがとうございます。
長男、次男、三男、末っ子長女の
4人の子どもたちを育ててきましたが
上の3人の息子は就職で実家を離れ
末っ子長女と夫の3人暮らしになりました。
4人の子どものうち、下の2人が起立性調節障害です。
わたしは生まれたのも育ったのも長崎市内北部。
三人姉弟の長女、第一子です。
今は、長崎市の隣町に住んでいます。
さて、前回は父が40歳で亡くなり、
専業主婦だった母が仕事を始めたものの
無理が祟って“白血病”と診断されたという、
人生最大の危機を迎えたところまででした。
結果を先に話しまずが、母は元気に生還。
今年、84歳になりましたが
認知機能の低下もなく、
心不全を繰り返しながらも
自宅でのんびり暮らしています。
困ったことに視力低下が著しく
そのためにできることが
だんだん少なくなってきました。
視力さえ普通ならなんでもできる
元気なおばあちゃんです。
さて、看護学生のわたしでしたが
卒業前の“看護研究”と母の入院が重なったため
かなりなハードワークな毎日を送っていました。
朝起きて、自分と妹、弟の朝食。
病院実習で18時すぎまで実習先の病院にいて
終わると急いで帰宅。
3人分の夕食を作りながら洗濯。
洗濯を干して、妹弟と夕食を食べると入浴した後
看護学校の寮に行って研究論文書き。
研究は3人グループでしたが
わたしはよく居眠りをして責められていました。
自分にはできる限りのことをしていましたけど
完全にキャパオーバーでしたね。
辞めるという選択肢はなかったんです。
もし、母が亡くなってしまったら
高校生の妹と、中学生の弟を
育てなくてはなりませんから、
自立するには看護師になるしかなかったんです。
一応、保健学科の受験もしました。
経済的にはわたしが進学しても
なんとかなるかもしれない感じでしたし
保険学科は1年間でしたから
なんとか持ち堪えられるかもしれないし
夢を諦めることに迷いもありました。
今の病院に就職したのは
たま同級生が、受験の準備準備をしていたから
便乗しただけだったんです。
受験した8人のうち
わたしを含めたふたりが合格。
ですが、他県から進学していた
もう1人の合格者は地元に帰り
わたしひとり就職しました。
あ、選択の余地なく保健学科の試験には落ちました😅
実はわたしは母とあまり話さない
学生時代を送っていました。
いじめにあっていたこともあり
冷めた子どもでした。
やりたいことはなんとなく決まってきたし
表面的なことは話しますが
よそよそしい関係でした。
ですが、母が病気になったせいで
お互いに本音を話せるようになりました。
母は入退院を繰り返しながら
抗がん剤治療をしていましたが
幸いにも白血病は寛解し、元の職場に戻り
54歳でやめるまで仕事をしていました。
わたしは夫や母の協力もあり
子育てと仕事を両立しながら看護師を続け、
今年度で定年を迎えます。
そして、2年後は亡父の50回忌。
子どもが小さい頃は
仕事を辞めたいと思ったこともあります。
でも、結果的には
辞めない方が良かったのかもしれません。
そして今は
才能発掘開運相談師/守護神鑑定師として
子育て相談や開運相談、鑑定をしたり
将来、三男が地元に帰ってカフェを開く予定なので
そのためにメニューの開発や料理の勉強をしています。
今はすごく楽しい毎日を過ごしていますよ。
今日は日差しは強いものの吹く風が少し涼しかったです。
看護師、思春期保健相談士、介護支援専門員
看護学士(オーストラリア)
トータルヘルスダイエットアドバイザー®︎
薬膳スパイスアドバイザー®︎
出生期心理アドバイザー
アンチエイジング雑穀おかずマイスター
オーガニック薬膳マイスター
食育・栄養アドバイザー
ナチュラルビューティスタイリスト(一期生)
メディカルアロマハンド&フットケアラー
才能発掘開運相談師
上級守護神公認鑑定師
パワーストーンセラピスト
パワーストーンコンダクター
パワーストーンライフアドバイザー
楽習フォーラムアクセサリー講師
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