定時制高校に再入学したからこそ見えた自分の将来 | 今日も笑顔になあれ〜起立性調節障害の兄妹と思春期保健相談士Rico*のブログ

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思春期保健相談士Rico *が日々の暮らしと不登校だった起立性調節障害の兄妹のことをつぶやいています。
いらいら子育てを卒業して、自分らしく楽しい暮らしをしませんか?
元気で明るいおかあさんが一緒にいたら、子どもにも家族にも笑顔が戻ってきますよ。

起立性調節障害の娘と一緒に

楽しい毎日を過ごしているアラフィフ、

家事より子どもと遊ぶのが好きなRico *です。


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わたしのストーリー①

わたしのストーリー② 母、白血病になる



今日もブログを訪問していただき、

ありがとうございます。


♂31歳・♂29歳・♂25歳・♀23歳の

4人の子どもたちを育ててきましたが

上の3人の息子は就職で実家を離れ

末っ子長女と夫の3人暮らしになりました。

4人の子どものうち、下の2人が起立性調節障害です。


三男は中学3年生の時に起立性調節障害と診断されました。
成長期に、急激に身体が大きくなることが
原因のひとつといわれていますが
その頃の三男の体格は160cm、60kgだったので
体格的にはすでに大人と言っていいサイズでした。

稀に大学生になってからとか成人してから
起立性調節障害を発症する人もいるので
単純に身体が大きければいいというわけでもありません。

高校は人気の県立高校(単位制)に進学。
倍率は2.5倍くらいはあったのかな?
進学校ではないので偏差値はそれほど高くはないです。
受験番号が近い同じクラスの同級生が続けて落ちていたので
不登校だった三男が合格したことに
同級生からも、先生からも信じられん的な声があり、
失礼な奴らだと思ったことを今でも覚えています。
確かに学校の成績は良くなかったですよ。
しかし、幼少の頃からバドミントンをやっていましたし
小学生の頃から常に県大会に出場しでいました。
バドミントンは相手の裏を読んで
球回しをしっかりしないと勝てないので
バカでは勝てませんよ?

まあ、希望していた高校に進学して
部活も勉強もがんばる💪と
張り切ってはいたのですが
やはり体調が良くないため、
1年生で単位が取れず、留年。

長時間バスで通うのがダメだったみたいです。

その頃年子の妹はすでに
全日制高校をリタイヤしていたので
(通信制高校に転校していました。)
妹と同学年💦

高校1年生を2回やりましたが、全然ダメでした。

オレ、夕方は元気だから、夜間に行こうかな?
と言い出した三男は工業高校の定時制を選びました。

普通校とカリキュラムが全く違うので1年生からやり直し。
全日制の高校を2年生の12月で退学して
(12月の修学旅行は行きたいと譲りませんでした💧)
1月に中学3年生と一緒に受験。

学校の説明を聞きに行った時に
元いた高校の方が当然偏差値が高いので
物足りないと思いますよ。と教務の先生に言われていましたが
体調が万全ではないので緩いくらいが
ちょうどいいだろうと思っていました。

しかも、定時制はバイク通学可なので
バスに乗らなくてもいい❣️

三男は友だちも増えて楽しい高校生活を送りました。

電気技術科?だったかな?
電気関係の学科に行ったので
電気工事士の資格をとるのですが、
元々定時制は二種の免許しか取らないそうです。
うちの三男が言い出しっぺで、
三男の学年は一種免許を取りました。

将来は電気工事士として働く覚悟ができたのでしょう。
自動車運転免許は準中型の免許、高所作業車の免許、
小型車両系建設機械の運転の業務に係る当別教育技能講習修了証(ユンボの免許 3t未満)を高校卒業前に取得しました。



そして一部上場の大手電気工事会社に就職して東京に行きました。
体調が悪い時もありながらなんとか仕事をしています。

三男の場合は工業高校の定時制に行ったことが契機になり
朝起きることができるようになりました。
学校も内耳炎で入院した時ですら病院から通い、
ドクターストップで、病院から出られなかった日だけ欠席しました。
高校生の時はしっかりバイトもしていました。

環境を変えることは大事ですよね。


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