香港が私を強くしてくれた:変わった経歴その2 | 海外子育て・多文化で育つ子どもサードカルチャーキッズ

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海外で日本人ママが子育てするとき、知っておいた方が良いことがいくつもあります。知らなかった、よりも知っててよかった、が絶対いいのです。

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海外引越し13回のエキスパート

&「子供と未来のために

カラダにいいこと」を伝える

リヒターケイコです。

 

* * * * * *

 

前回変わった経歴として

キンダーミュージック講師を

書いたのですが・・

https://ameblo.jp/richtercm/entry-12604533282.html

 

アレ?私って

いつから子供好きだったっけ?

 

 

色々思い出してるうちに

やはり私の原点は香港

と気がつきました。

 

 

 

実は’85〜’91までは

キャセイ航空のCA(キャビンアテンダントの略)をしながら香港に住んでいました。

 

(1番右が私デス)

 

 

高校からの夢を20歳で

叶えたのですが、今思えば

新卒でいきなりの外国暮らし。

親の勧めで決めた会社とはいえ

知らぬが仏ってことですね〜

 

 

当時10人が東京から同時入社。

もう一社合格していた会社は

東京ベースだったのですが

親はキャセイの方がいいよ、と。

 

 

成田から香港へ行く機内で

優しい笑顔の日本人の先輩が

全員にファーストクラスの

アイスクリームを出してくれた

ことを覚えています。

 

 

全てのスケジュールは決まっていたので

7週間の訓練期間もあっという間に

終わりました。

 

 

機内サービスのイロハ、接客のノウハウはもちろんですが、お化粧のレッスンとか

(普段お化粧しない人もいるわけでして)

赤の制服に合わせて工夫も必要でした。

 

 

実施訓練だとはライフベストを装着して

実際の飛行機の高さから緊急用スライダーでプールに滑っていくとか‥😨

 

 

実際の機内さながらのモックアップという設定などで楽しかったのですが

緊急時の訓練などはドキドキでしたよ〜〜

 

 

中には泳げなくって脱落するマレーシアの

人もいました。

泳げないって・・緊急着陸したら誰も

助けられないでしょ・・・

なぜ彼女が香港まで来たのかはナゾでした

 

   ☆*:.. o()o ..:*☆

 

 

 

 

 

それにしても懐かしい広東語が聞こえてきた昔の香港。今のような香港を誰が想像できたでしょう?

 

 

当時の香港は人は荒いし今ほど

きれいでなく、気をぬくと

スリにはあうし・・・

タクシーは遠回りするし・・・

出かける時は緊張!

 

 

実は2度もスリにあってて

2度とも現金以外は手元に戻った

というオマケ付きですゲラゲラ

 

 

1回は郵便ポストに捨てられた

財布が会社に届き

2度目はゴミ箱にポイ捨てされて

たのが警察署に届き。

とっても不思議な気分でした〜

 

 

なので

 

 

仕事や生活に慣れるまでに

2年ほどかかりました。

実際せっかく入社しても合わずに

1年で退社する人も多数。

 

 

当初1〜2年で日本へ帰る計画

だったけど、2年したらやっと

仕事を楽しめるようになったんです!

 

 

キャセイ航空では国籍は関係なく

昇格できる制度なので

ビジネスやファーストクラスでは

レストランさながらの高級品を

提供するので特に面白かったです。

 

 

4年目でエコノミークラスのパーサー

としてサービスの責任者に。

若干24歳でなったフライトパーサーという責任あるポジションも慣れるまで

一生懸命でつい力も入ってしまい

 

 

後輩に怖がられてたこともあったようですが😓 今ではそれも笑い話です。

当時はエプロンも制服もエルメスの新作ドキドキ

 

 

 

 

制服が赤なので、濃いめの化粧を

しないと顔がボーッとなります。

今はどうかわかりませんが

外見ちゃんとしてないと先輩CAから

チェック入りましたよー。

 

 

難点はこの化粧のまま日本の実家へ

帰宅すると母親が引いたこと・・・爆

 

 

 

 

それにしても11ヶ国の仲間との職場

クルーはフライトの度変わるし

他の国籍には怖い先輩もいたし!

一度はx国のクルーと喧嘩した

こともあります。

 

 

大勢のクルーの中に日本人一人

だけだったり・・・

はっきり言ってもまれました。

強くないと生きていけない

状況に身を置いていた訳です。

 

 

それでも私が6年間もCAを

続けられたのは、仕事が本当に

楽しかったからなんです!

 

 

お客様が機内に入ってらっしゃる

瞬間から、CAモード。

ひたすら笑顔ニコニコニコニコニコニコ

 

 

たった数時間の出会い。

だから機内ではできる限り

ご希望を叶えて差し上げたい!

 

 

頑張りすぎてフライトが

終わって家に帰ると

顔の筋肉が疲れすぎて

笑えないくらいでした。

どよ〜ん、です笑

 

 

小さいお子さんを連れてる若い

カップル。車椅子でご搭乗の方。

お子さんにでも会いに行くのか

仲の良い老夫婦。一人で不安な

小さい子。などなど・・・・

 

 

人と接するお仕事は、とにかく

お客様の気持ちになることが

とても大切。

でも「ありがとう」と言われると

本当に嬉しかったです。

 

 

 

 

つい最近、私の同期で一時一緒に

住んだマレーシア人の友人が

最高責任者のチーフとして

ついに定年を迎えました。

計35年間のCA人生。

身体はボロボロだと思います・・

 

 

でも素敵な笑顔の写真を見て

彼女に心から拍手を送りました。

 

 

 

日本しか知らない、20歳の

頼りなかった私

(訓練終えて間もなくバッジメートと)

 

 

 

最後のフライトの記念写真

 

 

 

そんな香港で学んだことは私の人生の

原点となってます。

オットと香港で出会ってその後続いた

引越し人生では、その経験がどれだけ

役立ったことでしょう。

 

 

初対面の方に話しかけるのも平気だし−

どの国に行ってもトラブル回避できたり−

他の文化を理解しているので

日本と違うシチュエーションにも

わりと対応できました。

 


私にとっては一生の財産になりました✨

送り出してくれた親には

心から感謝してます。

 


 

最後までお読みくださり

ありがとうございます(o^^o)