🟩今日は何を持って帰りたいですか?🟩 本ブログを読むにしても、何かのセミナーに参加する時も、YouTubeを見る時、TikTok見る時、X見る時、読書する時、人に会う時、どんな時でも、『今日は◯◯を得たいなあ』という意図をすることで、本当にそれが実現可能となります。是非『何持って帰る?』と問いかけてから見てくださいね。

 

こんにちはニコニコ






つづきです。




4. 親が与えるべきものは安心感


安全であることと

安心感を与えるだけです!




極端ですが、もうね、これ以上与えられることはありません。資産や物、家、車、はお金でいくらでも買えます。ほんとにいくら出しても買えますし、お金を払わなくても貰えます。人脈もモノ繋がりで繋がれます。




でも、安全で、安心、失敗しても大丈夫なんだよ、そのままのあなたでいいんだよ失敗したらまたやればいいよいるだけでいいんだよ。そんな無条件の愛は、くれ〜と言われても誰かからはもらえません。





くれ〜と言うこともあまりできないと思いますが、無意識に求めることはします。無意識で求めることに気づかないで苦しむことはあります。無意識ですから、「どうして、くれ〜っともしていないのに、分かってくれないんだろう? 」 「もらえないんだろう? 」 「どうしてできないんだろう? 」という謎のマイナスループが続きます。






10代のうちに、安心と安全、これさえ与えられれば、成人してからの人生に、どんな困難があろうがやっていけます。カオスになろうとも取捨選択をして開拓をして生きていけるのです。人間は弱くないのです。






10代前に親が子どもに対して、虐げていない、罵っていない、人格否定をしていないことがベースになります。





あなたがいてくれるだけで幸せよとか、肯定的でプラス思考であれば、土台無条件の愛でできているので、考え方や捉え方に、癖がなく素直です。つまり拗らせがないということです。





また抱きしめられた経験のある子どもと、そうでない子どもでは成人してからの愛情表現に違いがあります。ですから抱きしめてあげる、ハグをすることは日常的にやっておいた方がいいのです。





家族でハグができないなんて、悲しくないですか?

ハグができないことが、後世に受け継がれていくのです。





余談ですが、わたしは機能不全家庭育ちで抱きしめられた記憶がありませんでした。しかしそんなこと関係なく息子の幼少期にはたくさん抱っこして、褒めて育てました。イラつくことも当然ありますし、自己否定癖があったので、ひとり親家庭を不憫に思いました。





そんな息子が不登校になっても、自力で人生を開拓できたのは、土台に安心感があったからではないかと確信します。





息子が成人してからの出来事で、私の思考パターンにすね癖があることで、たびたび喧嘩になりました。




息子は私を応援してくれているのに、私の思考パターンは素直にそう受け取れません。先走り思考、マイナス思考、拗らせ、マウントなど、ひどいものでした。




そんな時、『お母さん、大丈夫だよ』と胸を開けてくれました。でも私はその胸に飛び込む事ができません。勇気が出ませんでした。




何度かの喧嘩でやっと勇気が出て飛び込み、息子の胸で素直に感情を表し泣くことができました。




あの時の抱きしめられた安堵感は、まったく知らない世界のこと、幸せに満ちたものでした。




無償の愛とは、こういうものなのかな、と心地良かったことを思うのです。ですから私はこのアメブロを借りて、親子関係の安心と安全を軸にすることをお伝えしているのです。大切なことは人それぞれですが、子どもの不登校は親が発端です。








昭和世代の育ちは、教育自体が先生や親の言うことが正しいから従え、でしたね。隷属意識を植え付ける画一的な指導でしたから、個性など要らんというカリキュラムです。





親の過干渉、親の支配欲、親の偏った欲。誰のおかげでメシ食ってるんだ?の横暴さ、夫婦喧嘩を見せられた、親の機嫌を取らされた、淫行を見せつけられた、親の世話をさせられる、などの家庭不和は、人生全般において、生きづらさを抱え、しょっちゅうつまづきが生じ、人間関係をスムーズに築くことが困難で、修正するのに相当の努力を要します。







目の前の子どもに力強さなんて感じることはできません、未来の明るい展望などあるわけない…と思ってしまうのは、自分の考え方によるところがあると思いませんか?






子どもが学校に通わないことは、学業の遅れ、クラスメイトや人との関わりの欠如によるコミュニケーションの将来的な憂慮、進学や就職に不利になるかもしれないことの懸念、このような不確定な未来をもたらすかもしれません。






しかし、親が過度に心配したところで、子どもにプレッシャーをかけるだけです。反発心を作るきっかけになるかもしれません。心を閉ざされてしまうと、話しができなくなり、子どものことを理解することができなくなります。これは、寂しくて悲しいことではありませんか? そしてまた、自分の不安を増幅させ、イライラも募りやすくなると思いませんか?






あなたとわたしの信頼もまだできてはいないと思いますが、このように信頼というのは一日ではなし得ません。親子といえども、一度離れた心を戻すには時間がかかるのです。わたしは息子と元通りになるまで4年ほどかかりましたかね。。。そのあと、先述のように、抱きしめてくれることが起きてきたのです。






学校に行けない、行かないを選択した子どもは、案外自分の軸を持っていると思います。たとえ障害があり、言語が発達していないからといっても、話せないだけで自分の軸はないとは言い切れません。





人は、自分の経験則を基準にして人を見ます。つまり、見たいものしか見ていないのですね。これは、非常に危険でして、可能性を狭めているということを覚えておいてほしいと願っています。







親はちょっとだけ早く大人になっただけです。知識はあるけれど、それが、必ずしも子どもの役に立つとは思えません。あなたの人生経験のどんなところが子どもの役に立つと思いますか






高校や大学新学ですか?少子化で以前とは入学の仕方は変わりました。カリキュラムに変更が重ねられるでしょう。スマホもこれからもっと発展していきますよ。



映画で見たような、空中に情報が写し出される機器も近いです。YouTubeもいつまであるかわかりません。TikTokもXもInstagramもいつ誰が買収するかもわかりません。アルゴリズムはしょっちゅう企業の気分で変わります。報酬方向性も明日には変えるかもわかりません。



企業も専門性高く即戦力を求めています。AIに任せて行くでしょう。チャットGPTを使いこなせる人、ドローンを使いこなせる人、新しいエネルギー資源の移行など、私たちが求めるものはまだ多いと言えます。

 


過去の方法、既成概念、固定観念に囚われてるいると、新しいもののひらめきを受け取ることが難しいかもしれません。ゆっくりのんびりと多めの休息を必要とする不登校の子どもたちは、秘めた力を持っているとは思えませんか



多めの自由な時間と休息は、ある日突然開眼し、マッハのごとく成し得るかもしれません。それはもしかすると今ではないでしょう。人々や世界の需要に合わせて、動きだす歯車を調整しているかもしれません。




人はみな違います。




波長が合わなければ、会うことができません。それは電話番号の周波数と全く同じ物理現象です。




つまり、不登校になって誰かが去っていったならその時の波長が合わなかっただけのことです。そこに不安になるような意味づけをすることはありません。不登校になって誰かと出会ったなら波長が合ったということです。そこで得るものと捨てるものに出会ったということです。




このような、自分への信頼と安心感が、子どもへの信頼と安心を与えることの方が、子どもの自立や成長を促進します





不登校は決して子どもの未来を閉ざすものではありません。むしろ、子どもが自分らしい生き方を見つけるための過程であり、その中で親が果たすべき役割は、子どもを信じ、支え、共に歩むことです。





親が自分の不安を手放し、子どもの未来を信じることができれば、その信頼は必ず子どもに伝わります。未来に対する心配を手放し、子どもと共に新しい可能性を探ることで、親子共により豊かな人生を歩んでいけるのではないでしょうか。





今回でこのお話は終わりです。

読んでいただきありがとうございました😊








私の記事の目的

私の記事の目的は、不登校を抱える親たちが、自己愛を育むことで、自己理解と自己受容を深め他者をも尊重することができる自分の軸を確立すること。自分の軸ができると周りや評価に振り回されることがなくなり、子どものありのままを受容れることができます。周りの価値観に左右されず、正しさを求めるのではなく楽しさや自分らしさを軸にした子育てで、本来の自分の価値観で生きる幸せをサポートすることです。子どもが学校に行くことも大事ですが、一番は子どもも親も自分らしく生きること、そして自己実現を果たしていけることと幸福度を上げることです。家族仲良く平和に穏やかに暮らせるのは"互いに尊重"しかありません。