お疲れ様です。
自分探しの旅で
過去を振り返り中のきょんです。
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今日は
私の兄妹の話です。
学年的に9つ離れた姉
6つ離れた兄
…そして、私。
初回記事にも記したと思いますが
兄と私の間に、
もう1人きょうだいがいたらしい。
残念ながら流産したと。
9つ離れた姉とは
小さい時に遊んだという記憶はなくて
物心つき始めて
姉のお友達と絡み出した位。
いつか姉の部屋に入った時
ベッドの下に
隠されていたタバコの灰皿を見つけ
母にチクって
逆ギレされた記憶が残ってるかな
気づけば姉は高校卒業して
東京に就職したので
小さい時の姉の思い出は、ぶっちゃけ無い(笑)
その後 すぐ出来ちゃった婚。
大阪と離れた為 姉との関わりも減り
中学生で叔母さんになった私である。
そして6つ離れた兄。
物事が理解出来るようになった時点で
私にとって兄は
【障害者】
3歳位の時
高熱を出して知的障害になったと
母からは聞いた。
言語障害もあり、
兄との会話はなかなか難しかった。
私は兄の事を
未だかつて「お兄ちゃん」と
呼んだことがない。
今でも兄という実感が無い。
小さい時
そんな兄の存在が嫌だった。
普通じゃないという勝手な偏見。
小学生位になると
同級生から兄の事でからかわれた事もあった。
母はいつも兄の世話に追われていた。
いつだったか
兄が何かに取り憑かれた様に
精神的におかしくなった時は
家族が崩壊するのではないかという不安に駆られた。
母は兄が1番だった…。
仕方が無いと
自分でも幼いながら理解していたつもり。
1人では普通に出来ないし
人とも関わるのが難しい。
こうなってしまったのは自分のせいと責める母。
宗教の教えもあって
自分を責めているような気がしてならなかった。
私には兄のサポートは出来ないし
してあげようという気持ちも無かった。
私も母の1番になりたかったのだと思う。
だからか…
しっかりしなきゃ。
…って思いながら生きてきたのかもしれない。
朝晩働き
兄の世話
幼いながらも
どこか冷静で客観視していた私。
これ以上
母に負担をかけてはいけない。
その時から
と思っていたのだと思う。
思い出すと
何故か
胸が切なつなる。
そのしこりは消えてないと思ったのは
私も成人していて
ある時
兄がちょっとしたアクシデントがあり
頭をぶつけ
命の危険もあるかもしれない。
…という話を母から聞いた時に
私その時
…と思った自分を
なんて冷酷な奴
と思った記憶もある。
母の負担が無くなるのでは…
と何も考えず思った。
母に楽になってもらいたかった。
…それだけだったのだと。
母に甘えれないのは
きっと兄の存在が影響してるから。
もう
人に甘える事すら分からない
そんな自分になっていた。
未だ、それは克服出来てない。
3人きょうだい
この年齢になると
姉とは仲がいいが
兄とは
昔とさほど変化は無い。
たぶんこれからも変わる気がしない。
障害者の兄。
優しく守れる位
器の大きい自分でありたかった。
たまに、冷酷な自分を責める時もあったな。
だから障害者を身内にもって
献身に支えている人を見ると
尊敬しかない。
…甘えられない原因
兄の存在大きいのかも。
過去を振り返って
今 気付いた?
そんな、私の3人きょうだいの話でした。
ここまで、お読み下さいまして
ありがとうございます┏○ペコ
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