ここのところプライベートな方がちょっと忙しくて、それが今日やっと終わり…
でもGWに入るので、これからまた仕事が忙しくなりそうです(笑)
最近、なんだか、ボーッとする時間が増えたというか、増やしたというか…
椅子に座っていると、うとうとするような感覚が多いんです。
そこで必ずと言っていいほど、問いかけ?みたいな言葉が聞こえるんです。
それは、本当に自分が行くべき方向なのか?
…みたいな。
ん~、言語化するのが難しい(笑)
人は、よく「〇〇になりたい!」みたいなことを言うけど、でもそれって〇〇を知っている時点でもう二番煎じじゃないですか?
自分が作りだしたものではないわけで。
だいぶ前にどこかで観た番組で、「ユー〇ューバーになりたいって言うけど、でも君は100年前だったらそんなことは言わないはずだ。だからそれは君の夢ではない。君はただ目について自分もできそうな有名なものを追いかけているだけでしょ?」みたいな、そんな話だっただけだと思います。
※言葉は全然違うと思います。
私が今追いかけているものは、あるいは今まで追いかけてきたものは、
それは本当に、自分が選んだものだったのか。
突き詰めていくと、何だか違う感覚になるんですよね。
まるで「挨拶されたから、挨拶を返すのが当たり前だ」みたいな感覚の、要は他人の真似みたいな。
最初に、最近忙しかったという話を書きました。
とある作品を、熱中して読んでいたのです。
期間限定だったので、急いで読まないと間に合わなくて(笑)
作品に惹かれるものがあり、どうしてこんなに惹かれるのか、本当にわからない。
でもこの人はきっと、この作品を世に出すために生まれた人。
だから、魂が震える。
私にはきっと、こういうものは作れない。
脳内を、魂を、激しく揺さぶられるような、そんな感覚になるのです。
でも、この人に影響されてこの人を目指したら、それはやはり二番煎じであり、自分なんだろうか?
どこに影響された?誰かを揺さぶりたいのなら、同じ媒体でなくてもよいはずだ。
でも、多くの人はきっと誤解する。
同じ媒体を使い、同じように誰かを揺さぶりたいと。
これがまるで自分が目指す目標だと言わんばかりに、最初は喜びを感じ…
のちに、絶望も感じてく。
絶望を感じるなら、多分、それはその人の役目ではないのです。
影響を受けて真似ただけ。
ただただ、反応しただけで、その人の夢でもやりたい事でもなんでもない。
今までの自分はどうだったのだろうか?と、まるで玉葱をむきまくるかのように、どんどん剥がれ落ちるんです。
色んな思考が(笑)
私の知り合いに、小説を書く人がいて…
その人は、何年も、何年も、ただ書いてる。
書いてる姿を見てると、何だか泣けてきます。
ああ、書くために生まれた人なんだな、と。
評価されるとかよりも、自分の中におりて出てくるものを文字にしているだけ。
書いてる姿が、何だかすごく共鳴してる、不思議な感覚になります。
だから、何だか、そんな自分がすごく見たくなってしまって…
これも、影響ですかね(笑)
色々なことに影響を受ける前の自分が、何を持って生まれたのか。
恥ずかしい話だけど、「〇〇で稼ぎたい」とか「〇〇で有名になりたい」とか、常に「〇〇」が先にあったんです。
きっとずっと。
〇〇なんかよりも、もっともっと何かがあるはずなのに、そこに向き合ってこなかったな、と。
だから3月くらいから何もしてなくて、売り上げとかも見てないです(笑)
私は何が好きで、何に反応するのか、意外とよくわかってないから。
ああ、私って底の見えない宝箱なんだなって思った。
いっぱい出したつもりだったけど、まだ全然だった(笑)
まだまだ底に、可能性が眠ってる。
誰も見つけていないもの。自分しか見つけられないもの。
自分が一番の価値を感じるもの。
それは何なのか、知りたくなってしまった。