書くネタがない訳ではないけど、こんな事を書いてもしょうがない的な内容ばかりなので、というか今はそんな生活なので、久々にサッカーに関して、書きます。


僕の好きな(好きだった?)チェルシーは今夏、ルイス・フェリペ・スコラーリを監督として迎えた訳ですが、彼のロンドンでの暮らしはたったの半年で終わってしまいました。何試合かしかちゃんと観れてないんですが、フェリポンの試合運びとか采配は、あんまりいい印象がありません。

そりゃ確かに、開幕した頃は強がった。プレミアらしからぬスピーディーでクリエイティブなパスサッカーは、観ていて面白かったし、期待もできました。デコは素晴らしかったし、アネルカの得点力は頼もしかった。

タイミングとしてはどの辺ですかね、CLのローマ戦あたりからかな。チームとしての組織力の高さを武器にしてる、そういうチームには、苦労する事が判ってきて。それを打破する『個の力』いわばタレント力はもちろんチェルシーは頭一つ抜けているけど、ケガやらコンディション不良やらで本領発揮ならず、みたいな。誰とは言わないけども。
プレミアでもビッグ4との対戦で勝利がないし、降格争いしてるチームとですら、引かれるとこじ開けられなかったり。この辺から、だいぶメディアでも叩かれる様になりましたね。

なのに、フェリポンは明確な解決策をうたなかった。もしかしたら、うってたのかもしれないけど(若手のストッフやディサントの起用とか、ドログバ&アネルカの同時期用とか)、それは有効な解決策にはならなかった。
同情的な見方もあるけど、結局そこで何か策を用意できるかが監督の手腕な訳で、フェリポンはそれを期待されてた。それができなかったのだから、解任もやむなし、って事なんじゃないかと、個人的には思っています。

後任には、お馴染み必殺仕事人、フース・ヒディンクが就任。ロシア代表と兼任らしいけど、問題ないみたいですね。ていうか、アブラモビッチがロシアサッカー協会にも結構資金のサポートをしてるもんだから、協会も文句言えないらしい。アブラモビッチ、恐るべし。
過去にクビにしたモウリーニョとグラント、それに今回のフェリポンと、多額の違約金でチェルシーは大赤字らしいけど、大丈夫なんだろうか。

世界は今、100年に一度ってレベルの大不況なのに。煽りをもろに受けて、こっちは大変だっていうのに。ぶつぶつ。


てな訳で、また暇な時にでも書きます。

気を紛らわすのには忙しくするのが一番手っ取り早い。



そんなことをしていたらあっという間に二月がやってきた。



正直なところ少し驚いている。いつの間にかクリスマスが終わり、いつの間にか正月が終わり、いつの間にか学校の期末試験が終わっていた。



最近はマフラーも外して出かけることが多くなった。



春のにおいはまだ感じられなかったけど、どことなく春になることを期待してしまう。



そんな事を言っていたら、きっと夏なんかすぐに過ぎてしまうだろう。



充実した生活なんて大それたことなんて望んじゃいないけど、普通に良き日だなと思えるくらいの生活は送っときたいなと時々思ってしまう。



そしたら時間を有効に使ったらいいではないかと自分に問いかける。




結果、バイトを入れ過ぎてしまい、気持ちの疲労がピークに達する。




要は後悔ってやつか?




そんために一日リフレッシュするための日を作る。




毎度思うけど、リフレッシュするのに一日もいらないわけであって、十二時間ぐらいたつと何かしたくなる

。これはきっと性なんだろと思われる。




そんなわけで本日はリフレッシュ日に当たるわけだが、どうゆうわけか明日も明後日も明明後日までもバイトが削られてしまった。




要はまさかの四連休。




要は暇人まっしぐら。




さてさてどうしたことやら。やることが思い当たりません。




さいなら。






雨の日にスーツを着なくてはいけないというのは、それだけで何だか憂鬱だ。足が重い。

必ずしもスーツを着なくてはいけないという訳ではない。もっと言ってしまえば、ここに来る事は義務ではない。来たいから来た、そこには来るか来ないかの選択の余地が前提としてあった訳で、文句等を垂れている場合ではない。そんな権利は僕にはない。
しかしだからと言って、僕の憂鬱が軽減される訳ではない。不満を口に出す事はできないので、取り敢えず文字にしてみる。


それにしても広い駅だ。まだ改札も出ていないのに、周りはレストランやら土産物屋やら本屋やらで溢れかえっている。地上へと続く階段は無数にある。
あまり頻繁に来る事はないが、来る度にいつも、この駅はどんどん大きくなっている様に感じられてならない。駅としての機能を拡大しながら、規模を広げていく。分裂を繰り返す。まるで癌細胞みたいだ。

その拡大は永続的にも思えてくる。
でもきっと、そんな事はないのだろう。何故なら、東京は狭いからだ。無限に思える分裂と拡大も、いつかは終わりが来る。癌細胞と同じだ。彼等の分裂が、人間の生命維持期間を超える事は絶対にない。

希望も可能性も、果てや理由も目的もない拡大は、一体何処へ向かっているんだろう。


そんな事を考える。重い足取りで、地上へと続く階段を上る。


雨はまだ降り続いている。
交差点を渡っている途中でさ、ふと、見えたんだよ。

風船さ、赤い風船。
それが、ぷかーって浮かんで、ビルとビルの間を、彷徨ってた。

その辺で配られてたんだろうな、それを誰が離してしまったのかは、分からないんだけど。

さして大きくはない交差点だからさ、すぐに渡りきってしまった。結局、見えたのはほんの一瞬。だから、あの風船が何処から来て、あのまま何処へ行ったのか、全く分からないんだけどさ。

その風船がどうして、頭から離れないのか、考えてみたんだよ。


その時感じたのは、いわゆる親近感というか、共感に近いものだった。シンパシーみたいな、そんな感じだ。

溢れそうな人の中で呼吸をして、流れ続ける街の中で生きて、動き出した交差点の真ん中で急に、そんな事を感じたんだよ。

誰かと生きている様で、結局みんな、ひとりぼっちだよなって。

何処へ向かうか、決めている気になってさ、実は何処も、行くところなんて、ないんじゃないかって。

みんな、ひとりぼっちで、寂しがりだ。 けど、ひとりじゃ何も、見つからないし、何処へも行くところなんて、在りはしないんだな。


でもさ、何処かへ行くために、目的や理由がなくたって、構いやしないとも、思ったりする訳さ。

或いは、その理由が、ひとりで居るのが寂しいからとか、誰かに会いたくなったからとか、そういう事でも、構わないと思うんだ。


あの時、交差点の向こうに、一体何が在ったんだっけ。
何処へ行こうとしていたんだっけか、思い出せないや。

あの風船は、何処へ向かったんだろうな。気になって、仕方がないんだよ。
あの時、もっと頑張ってればよかったとか、どうして、やらなかったんだろうかとか、思った事って、一度や二度じゃないよな。誰にだって、そういう経験、あると思うんだ。

後悔先に立たず、っていうけどさ、本当、その通りさ。後から振り返っても、何にもならない事ばっかりだよな。

過去の自分を振り返ったりできる生き物って、人間だけだって、そう聞いた事があるな。
全く、迷惑な能力というか、何でそんなもの、人間は身に付けてしまったんだろうな。どんなに過去を悔やんだって、どんなに過去に焦がれたって、過去に立ち返る事は出来なくて、過去は変える事が出来ないのにな。


でも、こうも考えられるんだよな。
過去を忘れずに、過去から何かを学び取って、その先に生かせるのも、人間だけって訳さ。

良い事も、そうでない事も、忘れない事で、覚えている事で、その先の何かが、少し変わってくるんじゃないかって話さ。

何かが一つ終わる度に、そんな事をいつも、思うんだ。


次の行き先を、今僕はぼんやりと、考えている。

遅かれ早かれ、みんないつかは朽ちて、灰になる。終わりは必ず、見えてるんだから。一度きり、だからこそ、大事にいかなくちゃね。

もちろん、昨日までの全てを、僕は覚えているからね。その1つ1つをさ、どうにかして、これからに役立てていけたら、とは思っているんだよ。

これでも前向きなつもりなんだ、そうは見えないかも、だけど。