雨の日にスーツを着なくてはいけないというのは、それだけで何だか憂鬱だ。足が重い。

必ずしもスーツを着なくてはいけないという訳ではない。もっと言ってしまえば、ここに来る事は義務ではない。来たいから来た、そこには来るか来ないかの選択の余地が前提としてあった訳で、文句等を垂れている場合ではない。そんな権利は僕にはない。
しかしだからと言って、僕の憂鬱が軽減される訳ではない。不満を口に出す事はできないので、取り敢えず文字にしてみる。


それにしても広い駅だ。まだ改札も出ていないのに、周りはレストランやら土産物屋やら本屋やらで溢れかえっている。地上へと続く階段は無数にある。
あまり頻繁に来る事はないが、来る度にいつも、この駅はどんどん大きくなっている様に感じられてならない。駅としての機能を拡大しながら、規模を広げていく。分裂を繰り返す。まるで癌細胞みたいだ。

その拡大は永続的にも思えてくる。
でもきっと、そんな事はないのだろう。何故なら、東京は狭いからだ。無限に思える分裂と拡大も、いつかは終わりが来る。癌細胞と同じだ。彼等の分裂が、人間の生命維持期間を超える事は絶対にない。

希望も可能性も、果てや理由も目的もない拡大は、一体何処へ向かっているんだろう。


そんな事を考える。重い足取りで、地上へと続く階段を上る。


雨はまだ降り続いている。