あくびをしたりすると、耳に痛みが走っていましたが、今は軽く違和感があるくらいのもので、自分の回復力が少し誇らしかったりする、はんどたおるです。
さて、舛添さん、ついに辞任の意思を表明しましたね。
「心から反省をし」
「一から出直すつもりで」
などと愁傷なことを言っていましたが、彼が一ミリも反省していないのは明らかです。(笑)
舛添さんには、「違法なことは何一つやっていない、しかも政治家なら多かれ少なかれ、みんなやっていることなのに、なぜ自分だけが叩かれ辞任に追い込まれなければならないんだ」という強い思いがあると、彼を良く知る人たちが語っています。
でも、こういった考え方こそが、政治家云々の前に、一人の大人としてどうなのかと僕は思ってしまいます。
法律とは何ぞや?
多くの人は、自分が属している社会を受け入れ、その秩序を維持しようとします。
でも、自分の欲望や利益のために人を殺し、強盗をする輩もいるし、オウムのように社会秩序を根底から覆すテロを企てる集団もいます。
そういった振る舞いをした人間に対し、罰を与え、もしくはそれらをさせないよう、抑止的意味合いから、法律が整備されているのです。
つまり、対立、混乱、不当、侵害などがあって初めて「法律問題」が浮上してくるわけで、日常の政治活動を粛々と行っているのなら、法律など歯牙にもかけないくらいの姿勢が当然なわけです。
舛添さんの政治活動において、重視されるべきは、「法律に抵触しているか否か」ではなく「知事として都民のためにいかに働くか」だったはずです。
混んだ電車で座っていると、足が不自由な高齢者が乗車してきた。
別に席を譲らなくても「法に触れること」はありません。
このような例を挙げるまでもなく、そもそも、人から頼りにされ、尊敬されるような人は、「法に触れなければ何をやってもいい」などと絶対に考えません。
都民のために働く都知事、国民のために奔走する国会議員には、利他的であることが求められますが、舛添さんは、その対極にある「利己的」な人物であることがバレてしまいました。
小学校のとき、道徳の時間などで、
「法律に触れるようなことはしてはいけない」
とは教えられていません。
「人には親切にしましょう」
「人に迷惑をかけないようにしましょう」
「挨拶をしっかりしましょう」
などと習いました。
法律を守ることは目的ではなく、立派な大人になるためにどうしたらいいかを考えさせるのが教育です。
このことを理解していない舛添さんみたいな人が、東大で教鞭を取り、政治家をやっていたのですから、まあ全然向いていない仕事をよくやっていたと呆れてしまいますね。(笑)
ちなみに、僕は「人に迷惑をかけないようにしましょう」には、条件付きで反対をしています。
頭に(なるべく)を付けてくれるならいいのですが。
人に迷惑を掛けずに生きていくことは不可能です。
また「迷惑をかけない」という思いが、無用な遠慮を生む弊害があると思っているからです。
人に助けを乞うことをためらう、被災して困っているのに、我慢してしまうなど、本来は甘えて良い場面なのに、「迷惑をかける」との理由で好意を断った結果、悲惨なことになることも多いですよね。
おっと、また話がそれました。(汗)
とにかく、自分が雇った弁護士に、
「不適切ではあるが、法律的に問題はない」
と言わせることで、難局を乗り切れると判断した舛添さんは、やはり人間的に問題がある、少なくとも知事失格であるという烙印を押されて当然でしょう。
ところで、もうポスト舛添の話題が取り沙汰されていますが、舛添さんの疑惑は何一つ解明されていないし、彼は嘘をついたことを認めてもいません。
視聴率や部数を気にするあまり、次の話題を取り上げたいのは分かりますが、メディアには、もう少しプライドを持って仕事をしてほしいものです。
さらに東京都民も、もっと真剣に誰に一票を入れるか考えてほしいですね。
舛添さんに一票入れた人は、今回のことで彼を痛烈に批判し、「せっかく応援したのにダマされた」と言いましたが、このような被害者意識など、僕たちは持つべきではありません。
舛添さんは、確かに都知事失格でした。
でもご自分の見る目のなさを反省する姿勢がないと、また同じことの繰り返しです。
その人は、猪瀬さんにも投票したそうです(^_-)-☆
都知事選の候補者が揃ったら、僕は彼女がだれに投票するか当てる自信があります。(笑)
「公約だけで判断するのは困難」などと言いますが、若いうちならまだしも、50年も60年も生きてきたら、口では立派な事を言っているが、コイツ信用ならないなってことくらい分かるようにならないと。(笑)