高市総務大臣は「テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じることができる」と2月の予算委員会で述べました。
また安倍総理は、2014年11月18日、ニュース23に出演した際、テレビ局が「景気回復の実感があるか?」を通行人に質問したVTRをスタジオで紹介した際に、「皆さん(テレビ局側が)選んでおられると思いますよ。」とインタビュー映像の取り上げ方に異論を唱え、不快感をあらわにしました。
以前も触れましたが、安倍政権はかつてないほどメディアに神経質になっています。
気に入らないメディアに抗議文を送ったり、NHK,テレビ朝日の幹部を自民党本部に呼びつけ事情聴取を行ったりもしています。
また安倍総理に近い自民党議員から、「マスコミを懲らしめるには、広告収入がなくなるのが一番だ」などの発言があったことも記憶に新しいところです。
彼らは、自分たちに批判的な報道をさせないよう、さまざまな手段を使ってプレッシャーをかけ続けているようです。
表立って「批判は止めろ」とは言えないので、政治的公平性を持ち出しているに過ぎないと僕は思っています。
ニュース23の街頭インタビューでは、5人中4人が「景気回復の実感がない」と答えました。
安倍総理が要求する公平とは何でしょう?
実感がないとする映像が4つなら、実感があるというものも4つ用意しろと言うことでしょうか?
でも、実際の街頭インタビューで、100人に聞いて「実感がない」が80人であった場合、同数の映像を流すのは、数では「公平」ですが、実態を反映していないので「公正」ではありません。
「実感がない」が8割を占めているのだから、4つと1つを流すことに妥当性があるわけです。
例えば、他のテレビ局が同様の調査を行い、「実感がない」と言う通行人の映像を1つ、「実感がある」とする人を4つ流した場合、安倍総理はどうするでしょう?
「公平でない」と主張するでしょうか?
するわけがありません。(笑)
違う観点から政治報道を考えてみましょう。
メディアやジャーナリズムの重要な役割に、「権力、権威の監視」があります。
メディアは、ロッキード事件など、これまでさまざまな不正、汚職を暴いてきました。
最近では、甘利前大臣の口利き疑惑がありましたね。(これは今絶好調のセンテンス・スプリングによる記事でした。笑)
「田中角栄は、総理大臣だから」との理由で、手心を加えるようなことは決してしてこなかった。
先のニュース23の話ですが、もし「景気回復を実感している」と言うインタビューを5つ流し、「していない」を放映しなかったとしたらどうでしょう。
安倍総理はご満悦でしょうが、僕はこんなメディアは要らないと思います。
要らないというより害にしかなりません。
せっかく総理大臣が来ているのに、疑問、不満をぶつけないで、ご機嫌取りに終始するようなテレビなど存在する価値がない。
「安倍さん大好き♪」
「安倍総理はすばらしい」
「偉大なる安倍同志」
などのヨイショ意見ばかり流し始めたら、これはもう北朝鮮のような独裁国家ですよ。(笑)
政権は、「政治権力」です。
権力の座にある者は、恫喝とも取れかねないような発言は控えるべきだし、圧力をかけるような行為は恥ずべきものだと自覚すべきです。
山崎拓、野中広務、青木幹雄、古賀誠など、かつての自民リベラルの重鎮たちは、暴走する安倍政治を痛烈に批判していますが、彼らは引退したからできるのであって、現役議員から安倍さんの批判は全く聞こえて来ません。
現在の小選挙区比例代表並立制では、一つの選挙区で一人しか当選できませんから、官邸に逆らって、公認をもらえなかったらえらいことです。
ですから、安全保障、原子力政策、TTPなどで、安倍総理とは異なる意見を持っていても誰も何も言いません。
以前も触れましたが、多様性を認めることは、民主主義の基本です。
自分たちだけが正義で、反対するもの対しては、どんな手段を使っても、封じ込める、無力化するというのは、絶対にあってはならないと思います。
一方で、メディア報道の質の劣化も指摘しておきたいと思います。
清原容疑者が乗った車を必死に追い掛け回し、ヘリまで飛ばして生中継することにどんな意味があるのでしょう。
また、安倍総理が国会答弁で、保育所を保健所と言い間違えた映像をこれでもかと執拗に流す。
単なる言い間違いと言うか、読み間違いですよ。
総理を批判したいなら、真正面から正々堂々とやるべきであって、単純なミスをしつこく指摘して恥ずかしくないのでしょうか。
総理大臣に対して失礼です。
メディアは絶大な権力を持っています。
それをしっかりと自覚して、襟を正した報道を心がけてほしいものです。