よく耳にする言葉ですが、今回はこの「中立」について考えてみたいと思います。
Goo辞書によると「中立」とは、
対立するどちらの側にも味方しないこと。また、特定の思想や立場をとらず中間に立つこと。
とあります。
「中立」とは理念です。
そんな立場を本当に取ることができるかと言うと、僕は絶対に不可能であると考えます。
対立する二つの考え方があるとします。
●マンションの建て替えをするべきだとする住民
●建て替えなど必要なしと主張する住民
僕がこのマンションの住民だった場合、僕の取る中立とは何でしょう?
そう。
「建て替えに賛成でも反対でもない」立場を取ることです。
「分からない」から、どちらの側にも味方しないのではありません。
「はんどたおるさんは、どうですか?」
と聞かれ、
「よく分かりません」
だと、まあこんな人もいるか、と許容してもらえるでしょうが、
「僕は中立なので、どちらの立場にも与しません」
なんて言ったら、バカにされて、もう挨拶さえしてもらえないでしょう。(笑)
考えることを放棄すると言っているからです。
さらに言うと、中立の定義にある「中間に立つ」なんて、さらにバカバカしいです。
自分は真ん中に立っているつもりでも、Aという立場から見たら、「あいつは
中間だと言っているが、完全にBよりではないか!」みたいなことになるのは容易に想像できますよね。
物差しで、対立する考え方の距離を測ることができれば、中間地点を定めることも可能でしょうが、こんなものは、完全にナンセンスです。
日本で中立ブームが起きたら、これはもう大変なことになりますよ。
誰も本質的なことは言わないから、何も決まらず、企業活動は完全にストップ、国会は開催しているだけで議論はなし。
教師は、教科書を一字一句間違えずに読むだけで教育は崩壊。
何か言うたび、「君は中立ではない」と責められます。
って言うか、人を責めること自体が中立ではないことにもなりますが。(笑)
自分の考えを述べられないとなると、人は考えることを止めます。
他人に対する干渉だ、と言われると困るので、余計な行動も起こさなくなるでしょう。
一方、スイスなど、国家としての「永世中立国」はありえます。
A国とB国が対立していて、
「おい!スイス君!君も我が国のために参戦してくれないか?」
と言われても、
「いや、僕はアンタたちの争いには、全く興味がありません。どうぞ勝手におやりください。でも言っておきますが、私たちを攻撃してきたら、中立を乱すものとして攻撃に出ますからそのつもりで。」
というのが国家としての中立ですから。
さて、個人が中立であることなど不可能だと述べてきました。
では、集団、組織、会社ではどうでしょう?
中立な組織はあり得るでしょうか?
例えば、テレビ局が「中立」な報道を“目指せばできる”のかどうか。
世界中でいろんなことが起きています。
アメリカ大統領選、シリア問題、国会、清原容疑者を乗せた車をヘリで追う…などなど。
どれをニュースとして採り上げるか?
どのように優先順位をつけるか?
そのためには「判断」「決断」が必要です。
重要性、緊急性、独自性、視聴者のニーズ、経験などを元に決める。
例えば、国会で山ほどある議員の質問、答弁のどこを切り取り報道するか?
そこには、「これを伝えたい」という明確な意志が存在しますから、中立でいることはありえません。
公平、公正であろうとすることはできますが、中立であること自体が不可能なのです。
次回は、報道における公平、公正とは何かを考えてみたいと思います。