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はんどたおるのブログ

日々感じていることをつらつら書いていきます。今からやっておこう認知症予防!

熊本地震に対して、SNSなどでコメントしたタレントさんたちが、いろんな形でバッシングを受けているようですね。

 

このようなクレーマーは、頼まれてもいないのに、勝手に被災者の気持ちを想像、曲解して、タレントを叩き、正義の味方のように振る舞います。

 

こんなことをやっているのは、どんな人たち何でしょうか?

 

推測してみました。

 

 

仕事でも勉強でも、何をやるべきかを自分で判断できず、上(親、上司)からの指示によって動かされている人たちだろうと思います。

 

上からの命令に、唯々諾々と従い、反論もしない。

 

 

でも完全に従順な人間などというものは存在しません。

 

隷属的行動をとる自分(自我)に対して、言いなりになりたくない、思うがままに行動したいと根源的な欲求を持つ自分がいます。

 

そこに激しいストレスが生まれます。

 

 

 

さて、人を殺すことはいけないことですが、なぜでしょう?

 

A:「刑法199条で罰せられてしまうからだ。バレないなら殺すけど?」

 

B:「法律は関係なく、殺人自体が悪いので殺さない」

 

 

Bのように考えるのは、「自分はこうあるべき」だとする超自我の働きです。

 

これは両親からどのように教育されたか、など環境によるものが大きいとされています。

 

 

また、「こうあるべき」という理想に、近づいていれば優越感が生まれ、外れていれば劣等感にさいなまれます。

 

 

普通、人は自分に害が及んだり、攻撃されたら反撃しますが、自分に関係がない場面で、相手を攻撃したりはしませんよね。

 

ところがこのクレーマーたちは、するのです。

 

 

彼ら(の超自我)は、

 

「熊本で地震があった。被災者が出た。気の毒なはずだ」

 

と自身に語りかけてきます。

 

でも、彼らの快楽原理に基づいた本能は、「自分には関係がないし、どうでもいい」と本音を突いてきます。

(自覚していないケースもあります。)

 

 

 

ここに認知的不協和が生じる。

 

 

何とかして、この状況を解消しないと、心のバランスが取れなくなります。

 

彼らの自我は、そこを調整すべく、「気の毒な被災者のことを思う立派な私」

を作り上げ、行動するようになります。

 

偽善者クレーマー(命名:はんどたおる)の誕生です。

 

 

ターゲットは誰でもいいんです。

相手を攻撃することで、「いい事をした。俺ってすごい」と溜飲を下げることができるからです。

 

 

まとめます。

 

彼(彼女)たちは、本音では、「被災者など自分とは関係がない」と思っていますが、そういう自分を受け入れることができないので、「自分は被災者に寄り添う立派な人間だ」と振る舞おうとして、誰かを攻撃するのです。

 

被災者のことを考えているわけではないので、ボランティア活動など絶対にしないし、一円も寄付しない。

 

ターゲットとなる有名人を捜し出し、「不謹慎だ」などと叩く。

 

有名人がSNSで謝罪する。

これに彼らは満足し、達成感を得ることで心のバランスを取っているのです。

 

 

以上、レイシズム(人種差別主義)の背後にあるものを明らかにした、精神科医、精神分析家のジャック・ラカンとあのフロイトなどを参考に、僕なりに「偽善者クレーマー」について考えてみました。

小学校のころ、担任の先生から、

 

「はんどたおる君、一度相手の立場に立って考えてごらん」

 

と、何度か言われました。

 

そのときは、その意味があまり良く理解できなかったのですが、中学1年生のとき、あることを経験し、「なるほど、これは大事なことだな」と実感したことがあります。(ある体験については、またの機会に書きます)

 

 

東日本大震災が起きたとき、何かお手伝いできることはないか?と多くの人が思いましたよね。

 

こんな人がいました。

 

 

「いらない衣類があったら、持ってきて下さい。まとめて被災地に送りますから」

 

今回の熊本でも、送られてきた衣類の山を物色する女性、でも結局何も取らずに戻っていきます。

 

 

ここで、“もし自分が被災者だったら“と考えてみましょう。

 

 

 

洗濯していない衣類、誰が着たのか分からないようなものを、自分は着るだろうか?

 

襟や袖が伸びて、色あせたセーターを着たいか?

 

送ってきた人が、処分しようと思っていたダウンジャケットを今の季節に着るか?

 

アウターは、我慢すれば3,4日同じものを着れるけど、下着は毎日取り替えたいよな。

 

 

送る人が「要らない衣類」は、被災者も「要らない」のです。

 

サイズが分かる新品が欲しいはずです。

 

要らない衣類を送っても、誰も着ないので、結局は処分しなくてはなりません。

 

 

衣類を送った人は、もちろんよかれと思ってやったはずです。

 

でも少し立ち止まって、「自分が被災者だったら、どんな衣類が欲しいか」を考えたら、違うやり方を思いついたでしょうね。

先日、「地震の予知ができなかったからといって、気象庁を責めるつもりはない」と書きましたが、一昨日の、気象庁職員の会見を見ていて、僕は自分の目を疑いました。

 

橋本徹夫という人の肩書が「地震予知情報課 課長」だったからです。

 

不勉強で、僕は、気象庁にこんな課があることを全く知りませんでした。

 

 

気象庁は、「地震は予知できる」と思っているんですね?

 

それなら話は別です。

 

前言を撤回します。

 

これまで一度も地震を予知できなかったのだから、こんな何の役にも立たない課は即、解散して下さい。

 

 

それとも、

 

「地震を予知できるとは思ってはいないが、努力目標的ニュアンスを出すために付けた」

 

と言うのなら、さすが役人の感覚、そのデリカシーのなさに唖然とします。

 

今回も数十人の方が亡くなり、多くの人たちが被災しているのに、こんな「地震予知情報課」なる人々の神経を逆なでするような課を代表して、堂々とテレビの前に立てるその無神経さ、厚かましさに反吐が出る思いです。

 

 

 

ちなみに、

 

「予測」という言葉があります。

 

「予測」とは、あることの将来を推しはかるときに、“既存の事実や調査したデータを基に“判断することを言います。

 

ですから本来「地震は予知でなく、予測するもの」のはずです。

 

 

「予知」は、科学的根拠が乏しく、第六感的なニュアンスがします。

 


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によれば

 

精神的心霊現象の一種で,将来起る出来事を超感覚的に知ることをさす。超心理学の研究対象の一つ。

 

 

「精神的心霊現象」ですよ?

 

 

予知と予想は違う意味の言葉なのに、こと地震に関してだけは、混同して使われています。

 

なぜか?

 

それは、お上である気象庁が、積極的に、「地震の予知」と言うから、国民にそれが浸透してしまったのだと僕は思っています。

 

 

地震調査研究推進本部が、南海トラフ地震について、「マグニチュード8,9クラスが30年以内に発生する確率が70パーセント」などと“予測”します。

 

この「予測」の部分を「予知」に変えてみましょう。

 

ものすごく不自然な、いや間違った文になることが分かります。

 

「地震調査研究推進本部は、南海トラフ地震を (略) と“予知”しました」

 

 

なぜ気象庁は、科学的根拠のないオカルト心霊現象の「予知」をあえて使うのか?

 

理由は、はっきりしていると僕は思っていますが、推測であれこれ書くより、会見場の記者の皆さんに聞いてもらった方がいいでしょう。

 

 

「この地震に関しての質問ではないのですが、よろしいですか?気象庁は“地震は予知できる”と思って、地震予知情報課を置いているんですか?普段どのように地震を予知されているのか教えてください。そして今後、起きるであろう地震を予知してその情報を出して頂けませんか?」

 

ぜひお願いしたいものです。

 

 

気象庁の仕事は多岐に渡っていることくらい知っています。

天気予報も大事です。

 

でも、ひとたび巨大地震が起きたら、多くの犠牲者が出る地震については、もっともっと緊張感をもって取り組んでほしいと思います。

 

まずは、このような不謹慎な課の名前を変えることから始めて下さい。