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はんどたおるのブログ

日々感じていることをつらつら書いていきます。今からやっておこう認知症予防!

昔は、いわゆる「青春ドラマ」や「スポコン(スポーツ根性)ドラマ」が一世を風靡していた時代がありまして、僕は「飛び出せ!青春」と「俺は男だ!」が好きで、毎回楽しみに見ていました。

 

 

「俺は男だ!」の主演は、現在千葉県知事の森田健作氏。

 

引用:http://yaplog.jp/akasakafugu/archive/1165

 

 

確か、サンミュージックのタレント第一号が森田健作さんだったと記憶しています。

 

サンミュージックはその後、故・相澤秀禎元社長の卓越したタレント発掘能力と、経営センスで業績を伸ばし、今や、押しも押されもせぬ日本を代表する芸能プロダクションになりました。

 

 

相澤秀禎氏は、2013年にお亡くなりになり、現在は長男が社長を務めているようです。

 

 

 

さて、サンミュージックと言えば、あのベッキーですが、彼女が文春に手紙を送ったことがニュースになっています。

 

 

引用:http://friends.excite.co.jp

 

 

しかもその手紙は郵送ではなく、サンミュージックの社長自らが持参し手渡したとのこと。

 

 

し、しゃちょーーーが???

 

芸能プロダクションの経営者が、所属タレントが書いた手紙を持って、不倫騒動をすっぱ抜いた雑誌社を訪れる?

 

前代未聞です。

 

 

偉大だった先代と比較するのは酷かもしれませんが、この社長さん大丈夫ですかね。

 

 

ベッキーの不倫が報じられたとき、すぐさま謝罪会見を開きましたが、このとき正直に不倫を認めていれば、現在のような状況にはならなかったはずです。

 

いや謝罪会見など必要なかったのです。

 

そもそも、「不倫ではなく友達だ」と言うなら、謝罪をすること自体がおかしい。

 

質問は、一切受け付けないなんて、突っ込んで聞かれたら困る、やましいことがあると言っているようなもの。

 

 

タレントが自分一人の判断でこんな会見を開くはずはないので、事務所つまりサンミュージックの社長がすべてを決めたのでしょう。

 

スタッフが進言したのかも知れませんが、タレントの一大事ですから社長が知らないはずはなく、この謝罪会見の最終判断を下したのは相澤社長でしょう。

 

 

こんな茶番みたいな会見で危機を乗り切れると思っていたとしたら、経営者失格だと思いますね。

 

危機管理能力ゼロです。

 

 

 

その後もベッキーは親しいタレントたちに手紙を書き、「友達だ」を繰り返したと言います。

 

これも社長の指示なのでしょうが、最初はベッキーをかばっていた有名人たちも、嘘を付き通そうとするその姿勢にゲンナリとしたようです。

 

 

ミスを犯した人間は、まずそれを認めることから始めないといけません。

 

「ミスはしていないと言う」のに「反省の言葉を口にする」ということは、実は全く反省していないと取られるからです。

 

 

今回の手紙で、不倫関係を認めたらしいですが、今さら?と遅きに失した感があります。

 

 

もしベッキーが違う事務所に所属していて、当初から正直な対応をしていたらこんな事態にはならなかったでしょう。

 

 

現在、ベッキーがすべての番組を降板させられ、スポンサー企業のCMがゼロになったのは、彼女が不倫をしたからではなく、不倫をしたのに「友達関係だ」と嘘を付き続けたからです。

 

 

「あまり男性とお付き合いをした経験がなかったものですから、ずっとファンだった川谷さんから声を掛けられ、うれしくて舞い上がっちゃいました。その後、奥さんがいらっしゃると聞いて迷いましたが、離婚してくれるという言葉を信じてしまいました。」

 

と言っていれば、こんな事態にはなっていないと思います。

 

 

つまり、現在の状況を作ったのは、ベッキーではなくサンミュージックだと言うことです。

 

まあ、「いい大人なんだから、自分でも判断しろよ」と言えなくもないですが、いちタレントが社長に逆らえるはずもありません。

 

 

ベッキーが謝る必要があるのは、川谷君の奥さんに対してだけで、「しらを切り続ける」という謝罪会見のシナリオを書いたサンミュージックの社長が知らぬ存ぜぬを決め込んでいるのは、経営者の前に社会人としてどうなのか?

 

自分だけが矢面に立たされたベッキーも、ある意味被害者かも知れません。

 

 

 

相澤社長が、やるべきことは、「あの会見で彼女に嘘を言わせたのは自分である」と白状し、一旦代代表取締役を降り責任を取ることです。

 

稼ぎ頭のベッキーの復帰に躍起になるあまり、手紙を持参するというような、みっともないことをすることではありません。

 

 

 

僕は別にベッキーファンではないので、彼女が復帰するのか、このまま芸能界を去るのか、についてはどうでもいいです。

 

 

ただベッキーのファンだった人で、今は彼女を叩いている人たちにひと言。

 

 

あなたたちは、自分の意志でベッキーのファンになり、勝手なイメージを作り上げ、応援したに過ぎないので、「幻滅した、ガッカリだ」と怒るのはどうかと思います。

 

 

略奪愛だって実際には結構あるし、小説や映画にもなっています。

 

ベッキーがそうしたからといって、彼女と個人的関係のないファンや国民が怒ること自体が間違っていると思います。

 

 

乙武氏についてもそうですが、本人がどんな人間か報道でしか知らないくせに、勝手に想像を膨らませて、その想像(妄想)が崩れたからといって「失望した」って…。

 

いやいや有名人たちは、国民が抱くであろうイメージ通りに振る舞うのが仕事ではないのです。

 

それぞれのジャンルで、最高のパフォーマンスを発揮してお金を得ことが仕事なのです。

やっと決まったみたいですね。

 

 

僕はひねくれ者なので、何についても、

 

「そもそもこれって?」

 

と、原点に戻って考えてしまう癖がありまして。(汗)

 

 

2020年東京オリンピックのエンブレム 

 

www.huffingtonpost.jp

2020年東京パラリンピックのエンブレム 

 

www.huffingtonpost.jp

 

そうじゃなくて、

2020年東京オリンピック、パラリンピックのエンブレムはこれ 

 

www.huffingtonpost.jp

ではダメなんですかね?

 

どうして2つ必要なんでしょうか?

 

大会組織委員会のサイトによると、

 

パラリンピックは障がい者を対象とした、もうひとつのオリンピックです。4年に一度、オリンピック競技大会の終了直後に同じ場所で開催されています

 

 

健常者と障がい者が競っても仕方ないので、障がい者を対象とした別の大会を開催する意味は分かります。

 

でも同じ都市の同じ会場で、オリンピックの直後に行われるのですから、一つのエンブレムでいいのではないですか?

 

 

メダルやポスターのデザインで、オリンピックとパラリンピックが明確に区別できるようにしておけばいいのでは?

 

わざわざパラリンピックのエンブレムを別に作る合理的な理由って何ですかね?

 

 

もちろん、これはJOCの問題ではなく、IOCが決めていることなので、日本がガタガタ言ったところで、どうしようもないことは分かっています。

 

 

 

でも、誰も疑問に思わないのでしょうか?

 

こんなこと考える僕がおかしい???(汗)

 

 

デザイナーさんたちは、まずオリンピックのエンブレムを考え、それに手を加えて(調整して)パラリンピックのものを考えるんでしょうね。

 

 

「障がい者を対象としたもう一つのオリンピック」をどのように特徴づけてデザイン化するんでしょうか?

 

 

個人的には、A案が一番好きでした。

 

次に気に入ったのがB案。

 

でもB案のこれ(オリンピック)は好きですが、

 

www.asahi.com

これ(パラリンピック)は嫌い。

 

www.asahi.com

 

 

B案に代表されるように、どのエンブレムを見ても、完成形であるオリンピックのエンブレムに対して、パラリンピックのものは、何かとってつけたような印象を受けるのは僕だけ?

 

 

 

TOKYO 2020の下も気に入らない。

 

オリンピックが5輪マークなのに対して、

 

www.asahi.com

パラリンピックのブーメランみたいなものって何?

 

www.asahi.com

パラリンピック委員会からの強い要請で、オリンピックとパラリンピック、2種類のエンブレムを作っているのなら仕方ありませんが。

 

そのあたりの経緯を少し調べてみましたが、分かりませんでした。

 

経費のことを考えても、その方がいいような気がするなぁ。

おおさか維新の会の、片山虎之助議員が、19日の党の会合で、

 

「終盤国会になって地震が起きた。政局の動向に影響を与えるのは確かだ。大変、タイミングのいい地震

 

と述べました。

 

 

引用:www.sankei.com

 

その後、自身の発言を撤回し、謝罪しました。

 

 

 

本当は好きなのに、思わず「嫌い」と言ってしまうことはありますよね。

 

恋人に、

「もう!あなたなんて嫌いよ!」

 

反抗期の息子が親に、

「うるせーんだよ!ババア!放っておいてくれよ!おめーなんか大嫌いなんだよ!」

 

 

でもこれらは、根底に恋愛とか愛情があり、それがもつれたとき、感情をうまく制御できずに、つい相手に逆のことを言ってしまう場合に起こることです。

 

 

会合で自分の意見を述べる場面では、感情の高ぶりとか、冷静さを失うといったことはあり得ません。

 

ですから、片山議員は、“実際にそう思っているから”「タイミングのいい地震」

と言ったのです。

 

言い間違えたとか、言葉の選び方が適切でなかったとかで済む話ではない。

 

 

差別主義者、排外主義者に多い考え方です。

 

自分(たち)だけが、正しく大切な存在で、他(人)はどうでもいい、無価値で不必要なものだと考える。

 

これは、他は要らないモノなので、処分(殺し)ても構わないという極端な思想につながります。

 

600万人のユダヤ人を虐殺したとされるナチスや、KKK(白人至上主義者)などがそうですね。

 

僕は、このような考え方は、そもそも思想そのものに自己矛盾があると考えています。

 

在日韓国人、朝鮮人に対しヘイトスピーチを繰り返す連中は、自分たちの主張を通すためには、朝鮮人に対する差別や排外はやむなしと考えます。

 

でも、もしKKKから、

 

「汚い黄色いサルめが!お前ら日本人などに生きている価値はない!」

 

と言われたら、

 

「黄色人差別だ!白人だけが偉いわけじゃない!」

 

などと抗議するはずです。

 

 

高度に進化した宇宙人が地球にやって来て、

 

「地球人のような野蛮な存在は、生かしておく意味がないので、せん滅する!」

 

と、宣告されたら、

 

「俺たちだって生きていく権利がある!排除するな!」

 

と声を荒げるでしょう。

 

 

要するに、「自分たちだけが正しい」とは、当人がそう言っているだけで、全く根拠のないことが分かります。

 

自分が相手を差別するのはいいが、自分が差別されるのは許せない、では筋が通りません。

 

 

残念なことに、安倍総理は、このようなネトウヨや差別主義者たちから支えられています。

 

そもそも、おおさか維新の会は、一応野党という立場ですが、実際は安倍さんに極めて近い、与党補完勢力です。

 

 

今後は、憲法改正に向けて、力を合わせていくでしょう。

 

 

安倍さんは、

 

「余計なこと言いやがって。」

 

と思っているでしょうね。

 

 

 

もし片山議員の身内や親族が、地震で亡くなったとしましょう。

そして誰かから

 

「タイミングのいい地震」

 

と言われたら、

 

「この人でなし、てめえには人間らしい心がないのか!」

 

と、烈火のごとく怒るでしょう。

 

自分の身に起きたことは、本気で考えるが、熊本の地震は彼にとって、しょせん他人事なのでしょう。

 

 

エリートとして生きてきて、特権階級意識が肥大化した結果、国民の命を軽視するような人間になってしまったんでしょうね。

 

 

 

麻生太郎財務大臣が、1979年に初出馬した際、支援者に向けて、

 

「下々(しもじも)の皆さん」

 

と呼びかけたことは有名です。

 

自ら、「自分は特別な存在だ」と宣言しています。

 

 

安倍さんの周りには、このようなタイプが多い。

 

と言うか、安倍さん自らが、このような人間を積極的に自分の周りに配置しています。

 

 

おそらく、お坊ちゃま同士、価値観が似ていて話が合うんでしょうね。

 

 

ところで、おおさか維新の会の馬場伸幸幹事長は、この後の記者会見で「言葉の言い回しの間違いなので、党内処分は一切ない」としたそうです。

 

 

「言葉の言い回しの間違い」?

 

 

僕は、政治家にとって、「言葉は命」だと思っています。

 

自らの政治信条、政策を有権者、国民に伝えるのは「言葉」を使うよりないからです。

 

言葉の言い回しの間違いなんて言っていたら、政治家は何を言っても良いことになります。

 

片山さんにしろ、この馬場という議員にしろ、こんな人たちが、我々の血税を使って活動していると考えると、怒りを通り越して悲しくなります