風はまだ冷たいけど
昼間の陽射しは、
少しずつ暖かくなってきて
 
もうすぐ春。
 
 
 
家の近くのスタバで
いつもは、窓の見える席に座るけれど
 
今日はたまたま
カウンターが見える席を選んだら
店内の、メニューを書いたボードが
桜の色に変わっていた。
 
さくらのシフォンケーキ。
 
 
あぁ、いいなぁ。
 
 
 
11月、早すぎるクリスマスの始まりは
追い立てられるようで
少し気ぜわしいけれど
 
 
2月、まだ寒いけれど
春を待ち望む心は。
多くの人がそれを共有しているんだな、と
感じられるのは、なんだか好き。
 
 
 
 
春になると
冬眠していた、おしゃれ魂が
目を覚ます。
 
 
 
黄色のワンピースを着たくなって
 
ピアスも、今の気分に
ぴったりくるものを選びたくなって
 
マスカラも新しく買い直して
 
レザーのジャケットを着て
 
髪も、あと少し短く切って
 
 
どこへ行こう。
 
 
 
 
冬の間、会いに行けなかった
あの人へ会いに行く。
 
 
上野の美術館に行く。
 
阿弥陀如来像、浮世絵、鳥獣戯画。
 
 
それから、水族館へ
 
クラゲとペンギンが
悠々と泳ぐのを観に行く。
 
 
 
春だから、好きな服を着て
 
春だから、会いたい人に会って
 
春だから、行きたいところへ行く。
 
春だから、新しいことをはじめる。
 
 
 
いつだって、
 
やらない理由を
 
できない理由を
 
探すことの方が、ずっと簡単だから
 
 
 
春だから、と理由をつけて
 
何でもやってしまう
ことに
してみる。
 
 
そこから、はじめる。
 
 
 
 
 
春だから。
 
春だから。
 
 
はじめる。
 
 
やりたいことを
 
 
自分が望む方を。
 
 
 
 
 
今年と同じ春は
 
来年には、もう
 
訪れないかもしれないから。
 
 
 
 
 
 
 
 
最後までお付き合いくださり、
ありがとうございました。
 
 
明日もあなたが笑顔でありますように。
 
文章に、
 
頭で考えて書く文章と
 
心で感じて書く文章があるように。
 
 
 
 
幸せにも、
 
頭で考えて確かめる幸せと
 
心で感じて包まれる幸せが、あるように思う。
 
 
 
 
頭で考えて、確かめる幸せは
 
あれもある、
これもあると、
 
たくさん見つけて
指折り数え上げていけばいくほど
時々、なぜだか焦りを覚える。
 
 
健康で、
家族もいて
仕事があって
……………
 
 
きっと、そんな時は
 
自分と、「幸せ」を
切り離して
外側から幸せを見ている。
 
 
自分の頭の中にある幸せを
眺めて、指折り数えている。
 
 
 
 
 
心で感じる「幸せ」は?
 
 
 
 
包み込まれる、幸せ。
 
 
 
自分が、幸せの中にいる。
 
今、その時。
 
 
暖かい、陽射しをぽかぽかと浴びている。
 
 
ゼラニウムの精油の、
柔らかい香りを吸い込んで
 
 
空の色、
何気ない夕焼けの色。
今日の月のかたち。
 
 
もふもふの毛布が気持ちよくて
 
 
温かいお風呂に、冷えた身体を浸して
 
 
懐かしいプレイリストを聴きながら
布団にくるまって眠る。
 
 
幸せに 身を、委ねる。
 
 
心と身体、五感の
ぜんぶで
感じる、幸せ。
 
 
包まれる幸せは
 
きっと、いつでも
 
 
この「瞬間」。
 
 

* * * * * * 

 
 
感じる幸せ、
包まれる幸せは
 
「体験」とともにあって、
 
それは特別なものじゃない
ありふれた日常の中に。
 
 
お風呂の中で、ぼんやり
そんなことを想っていました。
 
 
 
 
 
お越しくださり、ありがとうございました。
 
明日もあなたが笑顔でありますように。
 
「中動態の世界」という
 
わたしの世界観を確実に変えた
一冊の本がある。
 
今はもう失われてしまった、
「能動態」でも「受動態」でもない存在。
 
 
 
 
たとえば、「謝る」という
行為について考えてみる。
 
 
謝罪の言葉をただ口にしたり、
形式的に頭を下げたりしただけでは
きっと
本当の意味では「謝った」ことにはならない。
 
『本当にすまないことをした』
 
という感情が
心の奥底から湧き上がって、はじめて
「謝る」という行為が完結する。
 
 
それは、人の自由な意思によって
コントロールできない類のもの。
 
感情が一人でに湧き上がってくるのを
待たなければ完結しないもの。
 
 
それらを言い表すために
使われていた言語形態が
 
今では失われてしまった、
「中動態」という態なのだという。
 
「能動態」でも「受動態」でもない
 その狭間、とも言えない存在。
 
 
 
 
「許す」、という行為も
それに似ていると思う。
 
 
 
「私は許します」と、
 
自らの意思で決めて
許そうとしても。
 
 
 
「心残り」という言葉があるように
 
心の奥底に
何らかの感情が残ってしまうのなら、
 
それは本当の意味で
「許せた」ということには
ならないような気がしている。
 
 
それは、それでいいと思う。
 
許せないなら、
それが自然な気持ちなのだから
 
善いも 悪いもない。
 
 
 
 
一番 苦しいのは
 
「許した」はずなのに
 
「まだ、許せていない」
 
という矛盾した状態を、
自分が許せていない時のように思う。
 
 
 
どんなに頭で考えて
「許す」と決めたことでも
 
心の奥底に
「許せない」という感情が残っているのなら
 
 
今はまだ、
その時ではないんだ。
 
 
 
今は、まだ許せなくても。
 
いつか、その時はくるはず。
 
 
 
 
「許そう」と思って許すのではなく
 
「許せない」と思う気持ちが
 
 
 
ひとりでに 手を離れて
 
ひとりでに 解き放たれていく。
 
まるで、意思を持ったかのように。
 
 
 
いつか、その時はくるはず。
 
 
 
だから
 
「許せない」自分を、どうか
 
許してあげてほしいなと思う。
 
 
 
 
どうか
 
「許せない」と思う気持ちも、そのまま。
 
 
 
箱に閉まって、蓋をしておいてもいい。
 
意を決して、少し見つめてもいい。
 
荒ぶる気持ちを、
文字にしてノートに書き殴ってもいい。
 
 
 
だいじょうぶ。
 
 
時がきたら
自然に手を離れていくから。
 
 
ちゃんと、許せるから。
 
 
だいじょうぶ。いつか、きっと。
 
 
 
* * * * * * * *
 
 
許せていないこと、いくつか
あります。
 
 
普段は忘れていて、
何かの拍子に浮かび上がってくる。
 
暴れ出す感情を
ノートに書き綴って、
 
もう手放せる、と思えば、手放す。
 
まだ消化できていない、と思えば
また、記憶の箱に入れて、閉まっておく。
 
 
大体がそんな感じです。
 
 
中動態の世界、という本は
2年くらい前に初めて読みました。
 
 
哲学書の引用が多くて難しくて
そんなに読み返せない。 
 
でも、
確実に、読む前と後では
世界の見方が変わる本です。
 
また時間を見つけて、読み直したい。
 
 
 
最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
 
 
またどうぞ、お越しくださいませ。