わたしは、隙あらば
自分をよく見せようとしてしまうから
 
そのままの自分でいい、ということが
頭では理解できても
 
思うように行動に
落とし込めなかったりする。
 
 
頭では理解できることでも
腹落ちするまでには
やっぱり時間がかかるみたいだ。
 
 
 
 
何か仕事をするなら
全力でやるものだと思っていたし
 
誰かに何かを提供するなら
できる限り応えようとしてきた。
 
 
今の自分の持てるものぜんぶ
出しきって
ぶつけて
そこから、また
成長して。
 
 
それはわたしの成功体験であり
成長の糧であり
そうすることで
信頼を得てきたけれど
 
 
 
いつしか、成長が鈍る局面は訪れて
 
足りない。
足りない。
 
という
気持ちだけが、
残り続けることになる。
 
 
 
全力で頑張ることで
信頼を得る。
 
裏返せば
 
それをやめてしまったら
信頼を失うことになるのかな。
 
それは、怖いなぁ。
 
 
 
 
 
全力で頑張るから
その結果
認められる
 
そんな世界のかたわらに
 
 
めいっぱい楽しむから
その楽しさに魅かれて、
空気感に触れたいのだという人が
いつしか現れる。
 
 
そんな世界も
存在するのだと。
 
 
 
 
今は、ふたつの世界を
行ったり来たりしている途中。
 
「めいっぱい楽しむ」世界に
 留学をしている気分だ。
 
 
いずれは、そう。
呼吸をするように
 
 
純粋な楽しさだけで
選んで、
 
余計なノイズは取っ払って
行動していけるかなぁ。
 
 
 
 
「楽しさの純度」を高めてゆく。
 
 
これからの1年間で、
 
あるいは
 
残りの人生ぜんぶで。
 
 
それを体現していきたいな。
それが今、一番に願うこと。
 
 
 
 
* * * * * * *
 
 
 
 
Amazonプライムビデオで
 
唐突に
「鬼滅の刃」のアニメを一気見しました。
 
面白かったです。(月並み感)
 
 
性癖どストライクの登場人物が
出てこなかったので
命拾いしました…出てたらやばかったな。
 
 
 
本も、つねに積んである状態だし
コンテンツは周りに溢れていて
 
いかに、
「今この時」のエネルギーに合った
本や映画や音楽を選びとって
摂取していくか。
 
 
エネルギーに合えば
吸収効率も上がるし
 
合わなければ、
ぜんぜん入っていかない。
 
 
最近はそんな感覚があります。
 
 
何を、いつ取り入れるかも
楽しさや、心地よさの純度を高めて
うまく選びとっていけたらな、と。
 
 
 
 
 
お越しくださり、
ありがとうございました。
 
 
一段と寒くなりましたね。
どうぞご自愛ください。
 
 
 
山本 麻莉

「やらなきゃいけないとわかっているのに

 行動できない」

 

 の、根っこにあったものは

 

 

 

 やっぱり

 

 

 

「怖いから」

 

 

 だったのかもしれない、と

 今さらながら思っています。

 

 

 

 
 
やらなければいけないことに向かえば
 
 
当然のように
 
 
「まだ足りない」自分が見えてくる。
 
 
 
それが分かりきっているから
 
 
本を読んで
知識をたくさん入れて
疑問点をぜんぶ潰してから
臨みたい。
 
 
 
そんなの不可能だって
それも分かりきっているのにな。
 
 
 
今、この自分で
与えられる価値のことを
 
もう少しだけ信じてみる。
 
 
 
足りない、足りない。
 
それはきっと
何年経ったとしても言っている。
 
 
ある意味では
何年経ったとしても
言っていたい。
 
 
もっと、もっとと
ずっと磨き続けていたいから。
 
 
 
そのうえで、今
 
行動したいと望むなら
 
 
 
今、この未完成な自分で
 
与えられるものをすべて
 
与えたいと思う。
 
 
 
 
 
そう、決める。
 
それだけで案外
 
心は、動き出せるから
 
 
 
 
* * * * * * *
 
 
思考だけが、ぐるぐるぐるぐる
忙しい。
 
 
そんな一週間でした。
ようやく抜けられそう
 
抜けられたらいいなぁと
思っています。
 
 
ご褒美の赤ワインをどうぞ。
 
 
 
 
 
お越しくださり、
ありがとうございました。
 
明日も素敵な一日をお過ごしください。
 
 
山本 麻莉
 

喪失と呼ばれるものには

 

二種類あって

 

ひとつは、「実際に失ったもの」

 

 

たとえば大事な人との別れ。

病気や怪我。

引っ越しや転勤。

 

 

一見、幸せそうに見える

「進学」や「結婚」でさえも

 

それまでの生活を失う、という意味では

「喪失」になり得るのだそうです。

 

 

環境が大きく変わることで

同時に

失う何か。

 

 

 

 

もうひとつの喪失は

もっと、わかりづらいところにあって

 

それは、

 

「得られたかもしれなかったのに

 得られなかったもの」

 

 

たとえば、子どもらしく

自由にのびのびと振る舞うということ。 

 

 

自分が思ったままを口に出せて

それを受け入れてもらえる環境。

 

 

多少の失敗はあったとしても

それとは関係なく、

「あなたはそのままでいいんだよ」と

認めてもらえた経験。

 

 

 

得られたかもしれないのに、

得られなかった。

 

 

それは、とてもわかりづらくて

 

ある程度大きくなってから

自分と、他者の環境を比べてみなければ

わからないようなこと。

 

 

あの子はふつうに得ているものを

わたしはまったく得られなかった。

 

 

 

気づいた時点で

それは喪失に変わるのかもしれない。

 

「あぁ、わたしはそれを

 得ることができなかったんだ」

 

 

「わたしは、それを

 心の底から求めていたのに。」

 

 

 

 

グリーフケアという言葉を

耳にすることが増えました。

 

 

一般的には、

大切な人との「死別」に対する「悲嘆」を

扱う文脈で、

使われることが多い気がします。

 

 

 

けれど、もう少し広い意味で

 

 

子ども時代に失ったもの。

 

あるいは

 

ほしかったのに

得られなかったもの。

 

 

そうしたものに対する

痛みや嘆きについても

 

グリーフ(悲嘆)という言葉

 

あるいは

 

それに対処する

グリーフケアの概念を用いて

 

失った痛みを

癒していく。

 

「喪」の作業をおこなっていく。

 

 

 

そういう風にして

 

子ども時代の痛みを

癒して、そして

手放していくのだそうです。

 

 

 

まずは、「喪失」があったのだと

気づくこと。

 

そして、

それを見つめることで湧き上がる

感情を認めて、

受け入れて

昇華させていくこと。

 

 

 

 

時間はかかるかもしれないけれど

まずは、喪失について

知ること。

 

 

 

そんな風にして

気づくことから

始まるんだと思います。

 

 

 

 

そんなことを最近は

学んでいます。

 

わたしは、それを欲しかった。

でも手に入らなかった。

それに対して恨み、怒り、憤る。

けれどそれは

誰にも

どうすることも

できなかったんだと思う。

諦めて、手放す。

 

 

わたし自身が

そういう「喪」の作業をおこなってきた。

 

それを、今

振り返って

自分の人生に何が起きていたのかを

 

もう一度、

見つめなおしている途中です。

 

 

 

抽象的すぎて

何の役にも立たないと思うけれど

 

「喪失」について

少し書いてみたくなったので

 

今日はこんな文章です。

 

 

 

 

 

* * * * * * *

 

https://youtu.be/WkTw1NCWdJE

 

 

 

過去と向き合って

抱きしめたいと願うときに

 

いつも聴いてきた曲。

 

 

 

 

 

 

お越しくださり

ありがとうございました。

 

 

明日もあなたが

笑顔でありますように。

 

 

 

山本 麻莉