この絵本を開くと、


わたしの家にも


博物館がやってくる。




どこからともなく飛んできた

黄色いチョウに誘われて



標本の虫達が



化石の恐竜が



古い電話機まで




息を吹き返す。



真夜中のカーニバル。


命あるものたちの、祝祭。









色彩が美しくて


まるで図鑑を見ているよう。


そう思っているうちに、


展開する

不思議な世界に



子供も大人も魅せられてしまう。






小さい頃、夏休みになると


電車に乗って

国立科学博物館に連れていってもらえるのが

すごく好きだった。


大きなクジラと

恐竜の化石のことしか

ハッキリ覚えてないけど



あの時のワクワクが

この本には、詰まっている。



「はくぶつかんのよる」。











絵本を読んでいる時



自分の中の子どもの部分が

うずうずと動き出して


自分の中の大人の部分が

それを

やさしい眼差しで眺めている。



そんな感覚に出会うことがあります。



そんな絵本は



きっと、確かに


いい絵本だと思うのです。






最後までお読みいただき

ありがとうございました。


またどうぞ、お越しくださいませ。



未来を描くときは

 

過去の延長線上で考えようとするのではなく

 

自分の心のままに

望みのままに

 

やりたいことを全部やって

自分で選んで、決めて

最後の日に悔いが残らないように

 

「可能性ファースト」で決める。

 

 

 

けれど、過去は同じくらいに大事で

 

なぜなら

 

自分の心のまま

望みのまま

やりたいこと

 

心の底から願う

進みたい方向は

 

過去の経験から得たものや

過去から現在を通して

ずっと大事にしてきた

ものの中から

 

導き出されることだと思うから。

 

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「わたしは何者で

 

 どこから来て、どこへ行くのか」

 

 

何者であるか

どこから来たのか

 

過去を丁寧に紡ぎ直してゆく。

 

 

そうして、これから行く先は

きっと、一本のまっすぐでない道のように

つながっている。

 

 

わたしを貫くもの。

それはまっすぐな芯のようなものでなく

過去と現在と未来を

 

しなやかに繋ぎ止める、糸。

 

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そんな作業を繰り返すうちに

 

「わたし」の形は

 

 少しずつ輪郭がはっきりして

 

 

「これがわたしだ」と

 

 いつしか言えるようになっていくのだと思う。

 

 

* * * * * * * * * 

 

「わたしの軸」を、去年からずっと

 言葉にする作業を繰り返してきました。

 

 前よりもずっと、

 形になってきたように思います。

 

 

 

 

 

お越しくださり、ありがとうございました。

明日もあなたが笑顔でありますように。

 

 

テルマエロマエでお馴染み
ヤマザキマリさんの書いたエッセイを読んでいました。
 
 
 
もともと絵の勉強をするために
単身イタリアに渡ったという経歴の持ち主だそうで
油絵をがっつり学んだからこその
あの写実的な絵柄だったんですね。
 
 
10年にわたるイタリア生活での
わりと壮絶な貧乏暮らし、そして
同居していた恋人をめぐる金銭トラブルで
ぼろぼろになった時期のこと
 
日本に戻って、
手当たり次第に
できる仕事をこなしながら
漫画を描き始めたこと
 
 
 
 
なんというか
ものすごく野生的でタフな生き方を、
その哲学を
垣間見せてもらったような気がしました。
 
 
 
 
 
 
 
ここまで鮮烈ではないにせよ
「こういう風にしか生きられない」
 という人は、
 
世の中に一定数いるんだと思う。
 
 
そして
 
世の中にうまく適合するように
生きてきた人でも
ある時をきっかけに
「それ」を自覚してしまったなら
 
やっぱり「それ」をせずにはいられないと
感じるようになるのだと思う。
 
 
 
本当の望みとか、使命とか、
自分の見たい景色とか
そういうものを。
 
 
その時、何歳かどうかは関係なくて
自分は結局「それ」をするのだと
観念した時から
はじまる。
 
 
 
 
 
 
本の中で印象深かったエピソード。
 
 
イソップ寓話の
「アリとキリギリス」のお話は
もともと古代ギリシャで生まれたそうで、
 
その時は
「アリとセミ」のお話だったそうです。
 
 
それがヨーロッパ内で伝わるときに
馴染みのあるキリギリスに変わって、
(寒くてセミがいないので)
 
だんだんと、勤勉さを讃えるような
教訓がつけ加わっていった。
 
 
 
元のお話では
 
冬になり、セミがアリから
食べ物を分けてもらえずに
野垂れ死ぬことになり、
 
最期にこう言うのだそう。
 
 
 
『歌うべき歌は歌い尽くした。
 私の亡骸を食べて、生き延びればいい』
 
 
 
 
 
 
 
 
セミは、こういう風にしか生きられないから
 
その生をまっとうしたんだな。
 
 
 
生きる時間は短くても
 
その流れ方や密度は
きっと、まったく違っていたはずで
 
外からは、計り知らないないこと。
 
 
 
 
 
 
アリのように、堅実に生きる自分も
セミのように、情熱に焦がれる自分も
 
 
どちらもわたしの中に存在して
 
 
そのグラデーションは
日々、色合いを変えている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お越しくださり、
ありがとうございました。
 
 
明日もいい日でありますように。
 
 
山本 麻莉