テルマエロマエでお馴染み
ヤマザキマリさんの書いたエッセイを読んでいました。
もともと絵の勉強をするために
単身イタリアに渡ったという経歴の持ち主だそうで
油絵をがっつり学んだからこその
あの写実的な絵柄だったんですね。
10年にわたるイタリア生活での
わりと壮絶な貧乏暮らし、そして
同居していた恋人をめぐる金銭トラブルで
ぼろぼろになった時期のこと
日本に戻って、
手当たり次第に
できる仕事をこなしながら
漫画を描き始めたこと
なんというか
ものすごく野生的でタフな生き方を、
その哲学を
垣間見せてもらったような気がしました。
ここまで鮮烈ではないにせよ
「こういう風にしか生きられない」
という人は、
世の中に一定数いるんだと思う。
そして
世の中にうまく適合するように
生きてきた人でも
ある時をきっかけに
「それ」を自覚してしまったなら
やっぱり「それ」をせずにはいられないと
感じるようになるのだと思う。
本当の望みとか、使命とか、
自分の見たい景色とか
そういうものを。
その時、何歳かどうかは関係なくて
自分は結局「それ」をするのだと
観念した時から
はじまる。
本の中で印象深かったエピソード。
イソップ寓話の
「アリとキリギリス」のお話は
もともと古代ギリシャで生まれたそうで、
その時は
「アリとセミ」のお話だったそうです。
それがヨーロッパ内で伝わるときに
馴染みのあるキリギリスに変わって、
(寒くてセミがいないので)
だんだんと、勤勉さを讃えるような
教訓がつけ加わっていった。
元のお話では
冬になり、セミがアリから
食べ物を分けてもらえずに
野垂れ死ぬことになり、
最期にこう言うのだそう。
『歌うべき歌は歌い尽くした。
私の亡骸を食べて、生き延びればいい』
セミは、こういう風にしか生きられないから
その生をまっとうしたんだな。
生きる時間は短くても
その流れ方や密度は
きっと、まったく違っていたはずで
外からは、計り知らないないこと。
アリのように、堅実に生きる自分も
セミのように、情熱に焦がれる自分も
どちらもわたしの中に存在して
そのグラデーションは
日々、色合いを変えている。
お越しくださり、
ありがとうございました。
明日もいい日でありますように。
山本 麻莉