何かを「教える」という言葉は、どこか

 

「教える」側と、

「教わる」側に

 

上下関係があるイメージだった。

 

 

水差しを持つ人が、水を注いで分け与える。

 

上から下へ、流れてゆくもの。

 

 

 

だからやっぱり、教える側としては

「ちゃんとわかってなきゃ!」とか

 

「つっこまれても大丈夫なようにしなきゃ!」とか

 

どことなく、装備を固めて臨まなきゃいけないような

ガチガチした感じだったり

 

 

その前の時点で

「いやいや、わたしに教えられることなんて何もないから」…って

 

自分の可能性を過小評価して

抑え込んだりしてしまう。

 

なんとなくそんなイメージが

付き纏っていたような気がする。

 

 

 

「教える」と

「教わる」の

 

「能動」と「受動」の関係じゃなく

 

上下関係でもなく

 

もっとフラットで、気さくで、

ありふれた関係だったらどうだろう?

 

たとえば

「伝える」とか、

「分かちあう」みたいなもの。

 

 

イメージは、どこまでも広がってゆく、さざなみのように。

 

真ん中に自分がいて、雫をぽつりと落としたら

 

波紋のように広がって、その結果

ほかの誰かに影響を及ぼしていく。

 

 

「正しく受け取ってもらえたか」

「しっかり伝えられたか」

 

それはもう、自分の範囲を超えている。

 

そう思って、

手放す。

 

相手に、

委ねる。

 

 

 

ひょっとしたら

 

自分では、教えようと思ってすらいないのに

相手から見たら

 

「いつの間にか教わっていた」

「言われなくても自然と受けとっていた」

 

そんなことさえも、起こる。

 

 

何かを、きっちりと「教えよう」

ではなくて

 

すでに自分が持っている何かを

大好きな人たちへ。

 

「伝えよう」

「分かちあおう」

 

もしも、そう思ったとしたなら

 

わたしが伝えたいのは

あなたが伝えたいのは

 

一体どんなことだろう。

 

 

 

面白い本の選び方。

 

これまで出会った、素敵な人がくれた言葉。

 

一日を快く過ごすための習慣。

 

何気ない日常を切り取ったストーリー。

 

自分の感情を丁寧に見つめて、向き合った軌跡。

 

 

自分にとってはなんでもないこと。

他の誰かにとっては

知れば、少しだけ世界が豊かになるかもしれないこと。

 

誰もが臆さず、気負わず

分かちあって

伝えあって

 

わたしや、誰かの視点を

ほんの少しずつ共有しあって

 

そうやって循環していったら

世界はどんなふうに見えるだろう。

 

世界の感じ方は、

どんなふうに変わるだろう。

 

 

少しだけ、想像してみる。

 

 

* * * * * * * * * * 

 

お越しくださり、ありがとうございました。

明日もいい日でありますように。

 

 

山本 麻莉

 

水のようでありたいな、と漠然と思ってきた。

受け入れて、変わっていきたい。

停滞していたら、澱(よど)んでしまう。


変わらないこと。
貫くこと。
やり遂げること。
地に足をつけて、続けること。

それ自体がとても美しく、憧れる。


けれどもその一方で


「今やりたいこと」だけを追求していたいと願う
どうしようもなくわがままな自分もいる。

「やると決めたこと」を無かったことにする言い訳に、
それを持ち出してしまう
どうしようもなく怠惰な自分もいる。

どうしても本気で取り組めないから、
もう手放してよいものと

この先に必ず視界は開けてゆくから、
いま踏ん張らなくてはいけないものと

それを見分ける力がほしいな、と。
最近は、それはもう心から
願っている。

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さらさらと流れてゆく。

誰かと出会うたび、受け入れて変わってゆく。


けれども根っこのところで、きっと
どうしようもなく変わらないままだ。


わがままで怠惰で、無計画に流れるように
ただただ楽しいこと、感情が動くことを
研ぎ澄ませて選んできた結果

ここにたどり着いている。

最短ルートではなかったとしても、
楽しかったな。


けれども遠い遠い星を、北極星をめざして
果てしない道のりを歩くように
一歩一歩、踏みしめてゆく。

そんな進み方が自分にできるだろうか。


「毎日同じように続ける」が、どうしても苦手な自分が
死ぬまでにどうしても見たい景色。

自分の内側から湧き出るものによってしか、
きっと自分を動かせない。


そんな進み方が自分にできるだろうか。
答えはまだ出ないけれど。


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* * * * * * * 

 

全力で、最短距離でたどり着こうと思ったら

息切れしてしまったので。

 

小休止。

 

流れにまかせて、その先で

偶然にも目指した場所にきていた。

 

嘘のようだけど、起こり得る話。

 

その最中にも、わたしができることは何か

やり抜かなければいけないことは何か

 

問い直しているところです。

 

 

 

お越しくださり、ありがとうございました。

明日も良い日になりますように。

 

山本 麻莉

わたしの書く文章は
おみくじのようであればいいな。と思っている。

無作為に選んだ一枚のカードのようでありたい。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の、易占のようでありたい。

偶然手に取って開いた本の一節のようでありたい。



はっきりと決まった意味はなくて
それはただ、受け取った人が意味を与えるような。

文章とその人が出会って、はじめて意味が生まれるような。


それはただのきっかけにすぎない。

抽象的だから、どのようにも解釈できる
当てはまるとも言えるし、でたらめとも言える

背中を押すこともあれば
後ろを振り返らせることもあるかもしれない

もしかしたら、すごく昔の出来事に
偶然に光を当てることもあるかもしれない



悲しいときに、寂しいときに、不安なときに

紡いだ言葉が、はらりと舞いおりるかもしれない。

何一つ重ならずに通り過ぎるだけかもしれない。



紙飛行機を飛ばすように

たんぽぽの綿毛をふっと飛ばすように

宛先など考えずに、ただ、手放す。



その先で、もしもあなたに真正面から届いたら

それはたぶん、ちょっと

奇跡のようだと思う。



文章とその人が出会って、はじめて意味が生まれる。

そんな出会いが、ほんとうにあるとしたら。


 

 

* * * * * * * * * * 

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

この3ヶ月くらい、文章を書くことができなかったのですが

またぼちぼちやっていこうと思います。

 

またどうぞ、お越しくださいませ。

 

 

山本麻莉