何を信じるかは、

自分で選べる。

 

 

小さい頃には

難しかったかもしれないけど

 

家族や先生や

周りの人達に言われたことしか

選べなかったかもしれないけど

 

そして、そうしなければ

幼かった自分を

守れなかったかもしれないけれど。

 

 

 

 

わたしも、あなたも

きっと

大人になったから

 

自分で選ぶことができる。

 

 

自分が素のままをさらけ出すと

嫌われると信じることも

 

案外それでも受け入れてくれる人が

いるかもね、と信じることも

 

 

わたしはダメなやつだからと

信じることも

 

案外これまで、なんとかやってきたし

大丈夫かもね、と信じることも

 

 

どちらでも

選べると思うんです。

 

 

自分で選ぶ、と決めたときに

できることは

 

「それなら、自分はいま

 何を信じているだろう?」

 

 

ダメな自分を信じているのか

 

大丈夫な自分を信じているのか

 

 

自分自身にかけている「声」に

耳を澄ませてみる。

 

 

そうして気づけたなら、

 

少しずつ

ひとつずつ

 

手放していけるから。

 

 

 

 

 

* * * * * * * * 

 

お越しくださり、

ありがとうございました。

 

明日もあなたが笑顔でありますように。

 

 

山本 麻莉

何度でも 忘れる。

そして 思い出す。

 

また、歩いてゆく。

 

その繰り返し

 

 

 

 

 

幹についた葉が

一度、ぜんぶ枯れ落ちて

何もなくなったように思えても、

 

根はまだ生きている。

眠っている。

 

 

再生と回復の

過程を

生きている。

 

 

変わりたくない、ここにいたい。

 

それでもやっぱり、

「やりたいこと」は「やりたいこと」だった。

 

 

 

 

自分で 決めて、ここまできた。

 

そうして、また 戻ってきた。

 

 

再生と回復の

過程を

 

また、新しい一日から

 

はじめる。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * 

 

今日は

立春でしたね。

 

特別なことは

何もしていないけれど

 

日中は暖かいことも増えてきて

 

梅の花がちらほらと見え

 

夕暮れの空には、真っ白な三日月。

 

 

なんだかエネルギーをもらえたような

再確認して、もう一度

はじめられそうな

 

そんな一日でした。

 

 

お越しくださり、

ありがとうございました。

 

明日もいい日でありますように。

 

 

山本 麻莉

今日は節分でしたね。
 
昨年書いた、節分と鬼がテーマの記事が
ちょっぴり思い出深いので
また載せてみます。
 
* * * * * * * 
 
 
息子が通っている子ども園でも、
毎年節分で豆まきをするのだけど
今年はどうやら、趣が違ったみたい。
 
「泣きむし鬼」
「いじわる鬼」
「怒りんぼ鬼」
 
3つのうち、どれかを選んで
壁に掲げた鬼の絵に向かって
豆を投げるんだって物申す
 
 
去年までは、
先生が鬼のお面をかぶって登場。
 
泣き叫ぶ園児が続出しつつも
なんとか恐怖を乗り越えて、豆を投げつける
って光景だったんです…
 
 
 
聞けば、小学生の娘のクラスでも
「自分が退治したい鬼」を選んで、書いて
そこに対して豆を投げるんだって
 
娘は、「片づけめんどくさい鬼」を
退治したそうです。
 
(それ、日常的に母から
 片づけなさいって言われてるからか…)
 
 
 
なんだろうね、
鬼は
「自分の内側に在るもの」だって
 いつからか 変わったのかな。
 
 
 
鬼 = 怖い存在、怖さを乗り越えるべき対象
 
と位置づけるなら、
たしかに
成長の段階における試練として
乗り越える必要は出てくるのかもしれない。
 
 
 
だけど、
 
じゃあ
 
 
鬼 = 悪?
 
 
鬼に心はあるの?
 
 
っていう問いには
突き当たってしまう気はするな。
 
鬼滅の刃はTVシリーズを少し
履修済みです。
 
なまはげみたいな、
どこか人を超越した
畏敬すべき大きな存在が
愛を込めて叱ってくれるのはいいんだけど
 
 
 
 
鬼 = ?
 
 
その対象を、見誤った時に
 
異形のもの、
自分達とは、身体的特徴が異なるものを
 
簡単に
迫害する方向に
行きはしないだろうか。
 
 
 浦沢直樹バージョンの絵です。泣かされる…
 
 
 
 
 
 
 
鬼に、心はあるの?
 
 
 
 
 
 
じゃあ、そもそも節分における
「鬼」の起源って何?
 
と思ってGoogleさんに聞いてみたら
 
 
・仏教では「鬼は煩悩と呼ばれる人の欲望や悪い心に住み、それが災いとなる」と考えられていることから、寺院で節分の豆まきが広まった
 
・そこから、分かりやすく鬼を追い払い、福を内に入れるという形に変化していったと考えられる
 
 
 
…ということは。
 
 
冒頭の、
「怒りんぼ鬼」
「片づけめんどくさい鬼」を退治するって、
 
めちゃめちゃ
仏教の本来の意味に回帰してない??
 
 
子ども園、小学校教育
すごいかも。
 
 
なんて。
 
 
 
節分の鬼から、
思いがけず
仏教の思想までたどり着いて
煩悩について思いを巡らせる立春。
 
 
 
 
ちなみに私の退治したい鬼は……
 
「家事めんどくさい鬼」
 ですかね………真顔
 
 
 
言うほど退治する気ないけどね…
 
 
 
 
 
お越しくださり、
ありがとうございました。
 
明日は立春。
よい日になりますように。
 
山本 麻莉