十七条の憲法について(2) | Rhythmicbeatの感想文

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気になった事柄の感想を記録していきます。
1年も経つと何でこんな話をしたのかわからなくなるのも楽しいし、
英文表現にもトライしたいし。

第二条

 

 篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧侶である。すなわち四生のよりどころ、万国の極宗なり。いずれの世、いずれの人か、この方を貴ばざらん。人、はなはだ悪しきもの少なし、よく教うるをもて従う。それ三宝によりまつらずば、何をもってかまがれるを直さん

 訳 お釈迦様、その教えである経典、それを学究し伝達する僧侶を敬え。これら三つの宝は個人の生きる基盤であり国際的に通用する行動原理である。いつの世の人であろうが、どこに住む人であろうが、三宝を尊ばない人はいない。人間には、極悪人は少ない、教育によって社会の役に立つ人材となる。この教育を、三宝により行わなければ、何をもって間違いを正せるというのか。

 

 聖徳太子が望む政治の達成には、それなりの人材が必要である。人は教育を受けて一人前の人材になるとすれば、何を教科書にしようか、という考慮の中で彼は仏教を選んだ。現代の日本では政治システムを担う人物が、どのような宗教に帰依していようと問題にはならない。ここでは  「仏教」という言葉を「最新の理論や技術」と言い換えたらよいと思う。「仏教」は当時、最新の思想であり、総合科学であったろうから。

 

 加えて、当時、儒教、道教、墨子、管子いろいろな思想の中から日本人の規範としてふさわしい、つまり日本土着の宗教である神道と最も親和性が高いと判断したであろう規範は仏教であると判断し、選択したということである。そして1300年後の日本において、それは当を得たようである。

 

第三条

 

 詔を承りてはかならず謹め。君をば天とす。臣をば地とす。天は覆い、地は載す。四時順い行いて、万気通うことを得。地、天を覆わんとするときは、壊るることを致さん。ここをもって、君言うときは臣承る。上行うときは下靡く。ゆえに詔を承りてはかならず慎め。謹まずば、おのずから敗れん。

 訳 天皇のお言葉があった時は必ず尊重せよ。天皇は天空であり、臣下は大地である。天空は全てを覆い、大地はゆるぎなく存在する。常にこれを意識して行動すれば意思疎通を図ることができる。大地が天空を覆う事を企てれば必ず崩壊する。だから、天皇のお言葉を、臣下は承れと言っておく。天皇と臣下がこれを守れば、上司と部下、族長と家族も真似をして安定する。従って、天皇のお言葉があった時は必ず尊重せよ。尊重しないなら、自壊するだろう。

 

 天皇陛下は現在、政府組織を指揮するお立場にはないので、「組織の長」と言い換えると良い。何らかの血縁、何らかの手続き、何らかの功績により「組織の長」となった者が決めたことには従え、という意味である。ここで、日本語では「尊重せよ」と書かれているが、これは「従え」という意味の命令文であることに注意されたい。概ね日本語では直接的な表現はしない。

 1986年に内閣官房長官が補佐官に対して行った訓示の中にも「決定が下ったら従え」とあり、現代においてもこの言葉は有効性を失っていない。日本人は組織の長が命令しても「直ちに取り掛かります」という返事は少なく、「検討します」という返事が多い。

 これは、日本人にあっては、「命令内容については自分の部署の関係者と相談して対応を決めます」という態度が普通だからである。