十七条の憲法について(1) | Rhythmicbeatの感想文

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気になった事柄の感想を記録していきます。
1年も経つと何でこんな話をしたのかわからなくなるのも楽しいし、
英文表現にもトライしたいし。

はじめに

 日本では人口減少により、現状の社会システムを維持するための人員が不足する事態が想定されている。

 色々な対策がある中で、日本政府は、海外からの移住者を増やそうとしている。それ故、将来、日本国にルーツを持たない人(外国人)が日本に多く住まうようになる。そこで、問題になるのが、宗教的・文化的行動規範の差異からくる日本人と外国人の摩擦である。日本人の行動規範は、キリスト教の聖書のように形があるものではなく、不文律であり、大変わかりにくい。

 例えば、外国人は概して彼らの宗教ないし行動規範が明確であり、日本国政府、自治体等に自己の要求を述べることに躊躇は無い。これに対し、日本人は、自己の不満足について、あからさまに要求を述べることを嫌う規範があるので、外国人側に「不満が無い」との誤ったメッセージを送ってしまう。日本に住むという事は、法律に書いてあること以前に日本人としての習慣に合わせる行動が求められるという事である。これを日本語では「郷に入っては郷に従え」と表現する。

私は日本国以外にルーツを持ち、日本に定住し生活することを望む方々向けに、日本人の行動規範について紹介し、日本人を理解してもらう助けにしたい、と考えている。

 日本国は長い歴史を持つ国で、七世紀初頭には中国に倣って官僚制度の導入が始まった。これを推進した人が、聖徳太子である。彼が、新しく選任していく官僚達に向けて示した行動規範が、十七条の憲法である。第一条の冒頭の一文 「和をもって貴しとなす」 は、おそらく、日本人で知らない者はいない。まずはこれを足掛かりに、日本人の行動規範について文書化を試みようと思う。

第一条

 和をもって貴しとし、さからう事なきを宗とせよ。人みな、党あり。また達れる者少なし。ここをもって、あるいは君父に順わず。また隣里に違う。しかれども、上和ぎ、下睦て、事を論うに諧うときは、事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

 

 訳 WIN-WINの状態が望ましい、一旦、関係者で決議したらそれに従うようにせよ。人にはそれぞれ出身母体、支持団体がある。しかし、これを調整できる知恵者は概して少数である。だから、しばしば、君主や父親に従わず。近隣の集落で争う。しかし、リーダーがWIN-WINを目指し、交渉当事者同士が建設的に議論をするときは、意志が疎通する。できない物事は無い。

 

 現代に通じる訓示である。これが「あるべき姿」だということだから、聖徳太子の時代は、一族の持つ軍事力を背景に我を通そうとする者が大勢いて争いが絶えなかったのだろうと想像できる。この状況は聖徳太子という知恵者が一人いたところで、すぐには改善しない。彼としては、もっとも重要な知恵としてWIN-WINの概念を提示して見せたのだろう。

 現代日本でも県知事という日本国の地方行政官が、法律上、できる限りの理由をつけて、政府が主導する国家的事業(領土防衛やリニアモーター技術の実用化)の方針に順おうとしない。

 また、和の意味を全会一致と解釈する日本人も多く、国会でもしばしば決議に時間がかかる。この際、少数派が口にするのが「多数の言う事が正しいとは限らない」という台詞である。

 そして重要なのが、一旦決議したことでも前提条件が変われば、WIN-WINを維持しているか不明になる事である。例えば現行の日本国憲法は70年前の制定で前提条件は大幅に変わっている。にもかかわらず、変更を話し合うことすら悪であると主張する政党があり、国会審議が進まない。