夫に頼まれていたとおり、カーニバルがいつ行われるのか、次男の
幼稚園の先生に尋ねた。なんと、明日だった。それで、トラの衣装を
きのう もって帰ってきていたんだ。
幼稚園の入り口に、案内が貼ってあったが、最近貼ったばかりなのだろう。
同じクラスのAくんのお父さんとそれを見たのだが、Aくんのお父さんも
日時を前もって知らなかった。他の大事な予定を入れて
しまっていたのだろう。「あしたは、行けない・・・」と言って、顔を
曇らせていた。
さて、その帰り、信号待ちをしていたら、わたしの前にいた男の人が、
灰色の厚紙でできていて、羽がついた衣装を持っていた。
わたしは思った。『羽飾り、イコール、インディアンか。それにしても、
どうして体が灰色なんだろう?』普段は、内気なので、
知らない男の人に話しかけることはないのだけれど、春のような陽気と、
同じ園に通う子ども持つと言う共通点があること、おまけにカーニバル
というお祭りの衣装のお話だ。話が弾んだ。
「これは、インディアンの衣装ですか?」と尋ねた。
「ふくろうですよ。」道すがら話すと、そのお父さんは、年中さんの
女の子のお父さんだとわかった。
次男の名前も知っていて、とても親しげに話した。フランス語に
アクセントがあった。ハンガリーから来たと言っていた。
「フランツ・リストもハンガリー出身ですよね。」と言うと、
そのパパに通じた。でもリストは、1811年生まれの、ロマン派の
作曲家、もう200年以上前に生まれた人だ。日本人で有名な
作曲家の滝廉太郎が1879年生まれだから、年代的には滝廉太郎の
おじいさんかひいおじいさんくらいの年代になる。現代のハンガリー人
にとって、リストは どういう風にうけとらえているのだろうかと、
後になって思った。その頃は、日本に西洋音楽は入ってきていなかった。
そう思うと、技術的には西洋音楽のレベルでも日本は先進国の一つだと
思うけれど、歴史的にはまだまだ浅い。他のアジアの国々も同じだ。
若いアジアのすばらしい技術をもった演奏家が、かならずしも
ヨーロッパで受け入れるとは限られない理由のひとつに、「文化が違う」
ということがあるときいたことがある。
ヨーロッパの聴衆にとって、何か肌が合わないところがある演奏が存在する。
とても上手だけれど、自分のことばで感じたことが話せていなくて、
ただ、がむしゃらだったり、そつがないだけで、いいたいことがからっぽ
だったり、「機微」のようなものがかけていたりすることだとわたしは
解釈している。
本音を言うと、わたしは多くのリストの曲が好きではない。
編曲物ですばらしいと思うものはあって弾くが、まれなことだ。
わたしにとって リストの曲には理解しづらいところがある。わかりたいけど
わからない、そんな作曲家なのだ。
ハンガリー出身の年中さんのこどものパパに、ハンガリーのことばで
イエスとノーを教えてもらった。イエスが IGEN 「イガゥン」、
ノーが NEM 「ナェム」。
ノーは、フランス語の、「ノン」に近いと言えば近いが、イエスが全然違うね。
ことばを二つ覚えたぐらいでは、リストを理解するには程遠いけれど、
リストもこのことばを使っていたと思うと、ことば自体が生き物のように、
貴重なものに思われた。教えてもらって、とてもうれしかった。
もう一度言ってみよう。
IGEN
、 NEM 