YouTubeで吉村家のドキュメンタリー動画を見ました。2000年ごろの動画です。

 

いやいやいや、、、、、ツッコミどころがありすぎる・・・

 

 

 

 

家系ラーメンは少なくとも1回は食べたことがあるのではないでしょうか。あの濃厚なスープにつるりとした中太麺、海苔とほうれん草も特徴的です。

 

その家系ラーメンの生みの親、吉村実のもとで残りの人生をかけてラーメン修行をするというドキュメンタリーです。

 

この吉村実という人物が怖い怖い。殴る蹴るは当たり前です。服装は、腹巻を巻いて、頭にタオルを締めて、白いTシャツで、、、それってバカボンのパパの服装なのよ・・・まぁ、70歳超えてますからね。今も現役でラーメン作ってるのがすごいです。

 

 

修行する人は、津村さんという人。東大卒業で、会社員の時代もありましたが、脱サラしてラーメン屋の店主になりました。しかし、そのラーメン屋は流行らず、吉村家で修行するという経緯に至ったわけです。

 

さぁ、修行スタート・・・となりましたが、朝の3時に津村さんは吉村家の前に立って待たされていました。朝の3時ですよ!?まずこの時点で僕だったら脱落します。そして吉村実(これから社長と書く)さんが来て、仕込みに取り掛かります。

 

やがて店が開き、厨房も忙しくなってくると、津村さんは何をしていいのかおろおろ・・・そりゃそうですよね、この日が初日なんですから。何をやっていいのか分からないわけです。すると社長から『洗い物をやれ!』と言われ蹴りを入れられます。うわぁ・・・と思いながらもこんなのは序の口。これからヒートアップしていきます。この日はなんとか作業終了。

 

そして津村さん『緊張感が全然違います』    

 

・・・・・うん、だろうね。地獄とほとんど変わらないですからね。それにしても、この津村さん、耐性があるのか、我慢強いのか、社長の暴力を辛抱強く耐えていくんですよねェ・・・

 

 

そんな中もう1人、修行を申し込む人が現れます。石川さん、37歳です。1回は社長に断られましたが、資金を用意してもう一度頼み込んだらOKをもらい、頭を丸刈りにして修行に臨みました。

 

修行初日、石川さんは驚きの光景を目の当たりにします。先に修行として来ていた津村さんが殴られるわ罵声を浴びせられるわで、そこはもう別世界でした。(YouTubeのコメント欄の通りなんだけど、客がこんなの目の前で見せられたら食欲失せるって・・・)石川さんも蹴られて罵声を浴びせられます。ショックだったんでしょうね、昼飯はのどを通らず、食べられませんでした。とんでもないところに来ちまったなぁとさぞ思ったことでしょう。

 

修行は重く、苦しく続いていき、ある日石川さんは社長から呼び出されこんなことを言われます。

 

『死ぬか生きるかの勝負なんだよ  死ぬって覚悟でやんないと』

 

あれだけバイオレンスな性格で、弟子を殴る蹴るなんでもありの社長ですが、この言葉は合ってると思います。崖っぷちに追い込まれたのなら死ぬ覚悟でやれということですね。心に響くものがありました。

 

この日から津村さんの奥さん、石川さんの奥さんも厨房で働くことになります。えぇぇぇぇ、、、女性にあの環境は・・・

 

それでも夫のために家族のために耐えて耐えて下働きをこなす嫁たち。すげぇぇぇ。津村さんの奥さんは中国の方です。異国の地で(しかも日本という働くには最悪の環境下で)奮闘する姿には脱帽です。

 

そんな修行の中、津村さんがお腹の痛みをうったえました。病院に行ってみて検査すると、尿道結石だったそうです。汗の量が多すぎて、尿が出なくなったのが原因らしいです。・・・本当に地獄の修行だわこれ、、、

 

そんなこんなで修行も終わり、社長も2人を見て、これは任せて大丈夫だと思い、津村夫妻と石川夫妻に共同経営を提案します。その提案を承諾した4人が新たな店の開店準備をしているところで番組は終わります。ハッピーエンドとして終わってました。厳しい冬を耐えて、温かい春が来た!みたいな。最後の最後に社長が先祖様の墓参りをしているシーンもありますが。

 

 

いやー、それにしてもこんな時代もあったんですね。平成のゆとりのさらにその後の、超ぬるま湯で育ってきた僕には衝撃の場面が何度もありました。

 

暴力を耐えることを美学にしているドキュメンタリーだと思います(まぁ時代だしね)。でも学ぶべきものも多かったので見てよかったです。

 

 

 

ちなみに、津村さんの店はその後も繁盛しているようで(よかった!)、最近の様子の動画もYouTubeに上がっていました。そしてこの当時の修行を振り返って、社長はテレビの取材が来たときはギアが三段階ほど上がると言っていました爆笑

 

石川さんの現在の様子は分かりませんでした。4人で開店したものの、独立したのかもしれないです。