無職転生、気持ちが離れた理由 | はやてのブログ

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しがないオッサンのしがないたわ言

前回では面白いと評した無職転生だが、その後どうにも納得ができない演出があった。

 

ゼニス救出に際しての「他人」発言。

 

ルーデウスの中の人の人間性を疑ったが、

作者の方がお気持ち表明されたのだが、それでも納得できない。

 

確かにルーデウスの中の人よりも年下の親だったかもしれない。

それでも親としての愛情をこめてルーデウスとして育てた7年間だったはずだ。

普通の子供ではなく、ちゃんと成人としての意識も記憶もある人が7年間も愛情を受けて一緒に生活していたのに、関係性を築く出来事が無かったというのはいささか無理がある。

それなら妹のノルンが登校拒否になった時の力の入れようはどうなるのか?確かに自身を投影していた、という点もあろうが関係性という点では母親よりも少ないだろうし、なんならお互いに気を遣う仲ではないか。それがパウロとの一件があったにせよだ。

 

ここはどうにも納得できかねる、たかが一つのセリフに過ぎないのだが、演出と言わざるを得ない。

 

もう1点は重婚問題だ。

 

原作は未読なのだが、ウイキペディア等でロキシーとも結婚することは事前に知っていた。

 

が、いざ目の前でやられると何とも言えない嫌悪感を感じてしまった。

 

 

 

 

と反応してしまった。

 

作中での宗教観が肯定しているなら、ルディが土下座して許しを請うのは矛盾ではないか?そこには心情的に周りが許せないという雰囲気があるのではないだろうか?

 

もちろん、創作物に現実社会の倫理観を持ち込むことがどれほどナンセンスな事かは理解しているつもりだが、そうでないとバトル物自体がどうなんだ?となる、ハーレム物は数多あれど結婚までという一線を越えたのはほとんど無いのではないだろうか?恋愛状態または周りに好意を持ってくれている異性が多いだけの状態と、出産をまじかに控えた嫁がいるタイミングで重婚をしてしまうというのは似ているようでかなり違う気がする。

 

と作者はおっしゃるが、この感覚が分からないのはきっと私自身の加齢のせいだろう。

 

というわけで、それまで面白いなと思っていて原作も読むか?という気持ちになっていたのだが、一気に萎えてしまい今後は来年か再来年のアニメでいいやとなってしまった顛末である。