よく父保三は言っていた。
あの人は気位が高いなぁ。
そうどすなあ、と言う母喜久子の声がする。
二人は仲は良くないがよく他人の批判をしていた。
結局お互い似た者夫婦なのであった。
二人は口を開けば他人の悪口を言っていた。
次生はいつも、思っていた。なんで直接言わへんねん?気になるんやったら直接聞けばいいやん?コソコソ言うなっちゅうねん!あほやな?
ある日、次生は両親に言った。小学5年生のお正月である。
せやけどお父ちゃん!お母ちゃん!
あんな!人の悪口ばっかりゆうてるなぁ?いっつも?
オモロいか?人の悪口?言うて?面白いんか?
ほんで、言うてる悪口な、みんな想像やろ?
本人に聞いたんか?聞いてないやろ?
聞いてないやん?
いっつも影でコソコソ言うだけやんか?
言うたげるわ、ボクが。
あかん!あかん?次生っ!言うたらあかん!
いや、ボク言うから。聞いてくるから。
とまぁ、こんな感じで両親を教育してきたのだ。
「気位」きぐらい=プライド!
プライドが高くて陰湿で陰口が多くて他人が気になりそのくせ、ビビりで根性なしが京都人である。
気位は高いと人から言われたなら、この人は嫌われているのだ。
気位、プライド?
要するに簡単な事を難しく言いながら説明する人がこれにあたる。
難しい事を簡単に説明できる人は、気位が低いと言える。
コロナワクチンばら撒き時代からもう既に始まっているが、このプライドを自己で潰していく事が、生き抜いていくキーポイントになってくる。
プライドが高い人は協調性に明らかに問題がある。次生は見てきた。彼らは生き抜いては行けない。
映画クリスマスキャロルである。あの、爺さん
守銭奴のスクルージである。
プライドが高いと嫌われ、孤独死が待っているのだ。
父保三も母喜久子も次生からみれば、気位が高くプライドが高い人間であった。
故に本当の人生を味わっていなかった可哀想な両親であった。
このプライドの高さが時代を開いて行けなかったのだ。
プライドが高い気位が高いと人は絶対に育っていかない。
自信とプライドは違う。ここを履き違えている人が多いのだ。
腰が低く振る舞いプライドだけは高い、このような似非善人が京都人である。
よって他の県人達は騙されるのである、京都人に。
次生は、嫌嫌嫌って言う程見てきた京都人の気位の高さを。
両親を初め自分自身を含め、この気位と戦ってきたのである。
気位が高いとプライドが高いと子供は育っていかない。
世間では通用しない。
親が死ねばその子も同時に死ぬ。
次生の兄弟姉妹が正に生きる屍なのである。
両親にへばり付いてきたのである。
また、それが子供まで作ったのである。
可哀想なのがそんな親を持つ子供である。
親の責任もそうであるが、会社を起こし従業員がいる立場の者もまた同じくである。
代表取締役がプライド高くて気位が高いだけで親の財産だけで生きてきた人の下に付くと僅かの金銭で人生を棒に振る。
要するに苦労が無いのだ。
苦労がないから人が付いて来ないのだ。
小金は持っているが、その小金も没収される近々。預金封鎖で。その時、プライド高い人間は溶けていく。
子供が生まれ育ってきたならばプライドが高い親だと子供は非常に苦労する。
プライドが高い人には近づいてはならない。
潰される。
離れた方がよい。逃げるのである。
そうしないと自分の人生が開かれないのだ。
今、こんなにも時代の変化があるのにも関わらずプライド、気位は役に立たないのを気づいていない人がたくさんいる。
今、プライドを捨てた人から幸せな生活を始めている。