振り返ってみれば、50年間でゆうに100人は超えている。
次生が生まれ育ち、今も住んでいる地域の町内の亡くなった人達である。
顔見知りだが、亡くなった人の中には、名前も知らない人もいる。
よくお世話になった人もいる。
煩い人もいたし、優しい人もいた。
町内には壊れた家屋もあり、火事になり解体した家もある。改築した家もある。
どんどんと町内に暮らす人が入れ替わってきている。
グラデーションをかけるように少しづつ変化を続けている。
回覧板が回ってきた。
隣の町内の人が亡くなった。
人は死をもって終わる。
死をもって、環境がガラリと変わる。
次生はふと思う。
もっとアクティブに動けるうちに動いて生き様を後継の者に伝える事を身を持って示さないと生きてきた甲斐がない。
人生に価値を見い出すにはやはり、価値観の合う人達と価値を共有していくことが大切なんだと終盤になり痛感している。
起業する若い人達との共有が一番大切である。
単に若ければいいというものではない。
人ひとり亡くなるとおよそ家庭内で新旧の代謝が起こる。
いかに今を楽しく周りの波動の合う人達と暮らしていけるかが、これから始まる新しい日本の解体時には最重要となる。
波動である。波動。
単に気が合うとかではない。波動である。
価値観が合わないと脆くも崩れていく。
波動と価値観。
次生が生まれ育ってきた環境において一族には波動の合う人はいなかった。
価値観の合う親族もいなかった。
友人の中には波動と価値観の合う人達はいた。
彼らとの出会いは良き想い出として今も息づいている。
結局、人と人との出会いにおいて波動と価値観があわなければお互い不幸なんである。
家族間においてこの波動と価値観が合致している場合、最強の人生ではないか?
最高に幸せではないか?
今、次生は最期の実験を始めた。
生まれ育った環境では最強に最高の波動を感じ得なかった。
今、地盤を固めてきた人生の最終段階に、波動と価値観の合うチームを創り上げていく。