次生が29歳になったある日
康三とドイツに3ヶ月出張する事になるのである。
日本の法律の母法ドイツの地方裁判所、最高裁の宗教関係の判決文を資料として集めてくるのだ。
時には現役の裁判官達に質問し答えを得る作業も並行して行ってきた。
勿論法律用語を話せる通訳者付きである。
日蓮正宗VS創価学会の訴訟が全国各地で勃発しはじめていくのであるが、事の初めは、元創価学会員信者の供養金の返還請求事件からである。
つまり、多額の供養金を返せっ!という訴訟なのであった。
次から次へとパンドラの箱の蓋が開いたように夏の夜の打ち上げ花火のフィナーレのナイアガラの滝の花火のように、全国各地で訴訟が始まっていった。
日蓮正宗総本山大石寺は創価学会と袂を分かつ泥沼の闘いも始まったのだ。
各マスコミは面白可笑しく記事を垂れ流していった。
公称800万人とも言われている創価学会の問題を週刊誌が取り上げれば飛ぶように売れていく。
タブロイド判新聞も後追いで爆発的に売上を伸ばしていった。
全国紙の読売新聞、朝日新聞、産経新聞の取り扱い方も次第にタブロイドに似通ってきた 。
国会にも飛び火し、宗教と政治、信教の自由、言論の自由が問題にされてきた。
共産党は公明党に対し、政教一致ではないか?
とピンポイントで攻撃している。
与党である自民党にしても一枚岩ではない。
創価学会に関係している議員もいる。いない者もいる。
毎日新聞はこの問題、創価スキャンダルを申し訳程度の寄稿に留めていた。
創価学会は聖教新聞という会内の広報媒体としての会員向けの新聞を発行していた。
公明党の機関紙、公明新聞も同じく毎日発行していた。
公称800万人の会員である。発行部数も毎日新聞に匹敵していた。
ここで年々会員を増やしていった創価学会としては自前で聖教新聞を物理的に発行できない。
そこで毎日新聞と契約し、毎日新聞の印刷輪転機で聖教新聞・公明新聞は印刷されて行くのであった。
毎日新聞としても年々発行部数が落ちてきているところに渡りに船であったろう。
このような関係では毎日新聞は創価スキャンダルを記事に出来るわけが無い。
康三は西日本の弁護団の表の顔であった。では、裏の顔はいるのか?
いる、のである。
全国各地で起こってきた訴訟もあらかたポイントが見え始めてきた。
康三はその宗教の核心部分のナイーブな問題点をドイツではどのような判断をしているのかを具体的な判例、判決文、和解文を資料として集めて帰国した。