60 小説 裁判官の子として生まれたキミ | 京都 coffee bar Pine Book

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日々楽しく生きるにはコツがあります。
まずいちいち反応しない事です。
そしてオセロの4つ角を取る事です。
4つ角とは?
1 健康
2 人間関係
3 趣味
4 仕事
コレが楽しく生きるコツです

松本康三法律事務所

昭和45年大阪市北区の雑居ビル2階を借りて始めた弁護士業も翌年には自前の事務所を開設出来るまでに忙しくなってきた。


いっこちゃん?


なんえ?お父さん?


これ?見てくれるか?


由紀子は、康三が差出した、新築事務所ビルのパンフレットを見た。


いいやん、お父さん。買いよしな。買えるやん。どうせ家賃みたいなもんやし。


マンションの名前は、大阪弁護士ビルである。

大阪市北区西天満6-7-4 603号室 に決めたのだ。

昭和46年に販売された。

ビルの名称が気に入り康三は由紀子の薦めもあって購入を決めたのだ。



一階に富士銀行が陣取り2階から8階までワンフロアー5つの法律事務所が入っている。

つまり、30以上の法律事務所が入居しているのだ。

この大阪弁護士ビルには事務員が約150名、弁護士約100名のマンモス弁護士ビルが大阪に誕生した事になる。

梅田新道御堂筋に面し建つこのビルは重厚で威厳があり趣があった。大阪高等裁判所・地方裁判所、弁護士会館、検察庁等が周辺にあり弁護士事務所としては最高のロケーションであった。


次生はこの事務所に通い始めた昭和53年。

事務所近くの月極ガレージの賃料に驚いた。

一台65000円~!とチラシが撒かれていた。


なに?65000円?ボクの家賃より高いやん? 

と思って驚いた記憶がある。


この康三の法律事務所に次生は通い始め、次々と事務所に関係する人々と例の幸せビームを出しながら良い関係を構築していった。


毎日のように朝から、モシモシ?〇〇さんの紹介で電話掛けています。〇〇と言います。 


はい、どうされました?


あの〜実はーーーー。


と、長いのだ、電話が長くなるのだ。受話器を当ててる耳が熱く熱くなってくるのである。


そーでしたか、ではこちらに一度来られますか?


こうして、電話で解決出来ない場合は事務所に来てもらうのだ。  


最初の面会は、弁護士を出すのではなく次生が

康三の露払いとしてまず要件を聞き、調停にするのか、本訴つまり裁判、訴訟していくのか、を依頼者に事務所に来てもらって判断するのだ。

ポイントは、依頼者が何を持って解決としているのかをじっくり聞きながらノートに速記し・・・

 

〇〇さん?よくわかりました。

つまり、まだ会社には退職願を出していないが、こちらから退職願を出した場合と解雇された場合のそれぞれのメリット、デメリットを判断してください?と言うことですね?

  

法律事務所の事務員はヒヤリング能力が高いほどスムーズに進んでいく。

弁護士に案件を伝える事務員が、如何によく案件を理解しているのかがポイントになってくるのだ。 

法律事務所の事務員が単なる電話番の場合もある。このような事務所の場合、弁護士がパンパンになっている筈である。


松本康三法律事務所は、康三が開設当初は京都産業大学法学部教授を兼任している為、常に事務所に貼り付けていない。事務員の能力が電話番では話にならない。


モシモシ、はい、松本康三法律事務所ですが、はい、今、弁護士は産業大学で授業しています〜。 では、話しになる筈がない。


次生が松本康三法律事務所でまずやり始めた事は、徹底的にかかってきた電話の内容を書き留め来所予定を組み、案件の構成を考え、どの弁護士が得意分野で預かってくれるか?どうかを電話で直接その弁護士に聞いてやってくれかどうかまでを事務的に完成させてから最後の最後に康三に渡すのだ。


最初、事務所に入って次生は驚いた。

事務員は遊びに来ているのだ。

電話番に来ているのだ。


こんなんじゃダメやん?次生は改革を一人始めたのだ。 

例によって康三は事務所運営を放り投げている。


次生にとってはこの改革は孤独な闘いにならざる負えなかった。


闘い相手は三人。

4女と次男とその友人Mである。


幕はおとされた・・・