今日は、久しぶりに精神世界のネタで。
色々書きたいことはあるのですが、
今日、浮かんだのは、犠牲について。
この世は、犠牲から成り立つ世界です。
会社で働くのも、
社員が犠牲を払って、その対価として賃金をもらう、
というシステム。
結婚も、
お互いが、少しずつ犠牲を払って、
その対価として、安定的な家庭を得る。
その当時は、そんなこと思ってませんでしたけど、
以前の私は、今から見たら、そういう考えでしたね。
特に、結婚については、
そんなことないよ!
って言いたいけど、
でも、犠牲を払っていなかったと言ったらウソになる。
だけど、会社も結婚も、
そんな、犠牲の元で、
幸せになれるはずがない。
いずれは、破綻します。
はい、ここに、その経験者がいます。
犠牲を払うのではなく、
愛を与えること。
そこにしか、救いの道はありません。
そんな、与える愛なんて、持ってないよ!
と思ってしまいますが、
そんなことはありません。
誰かに与えたくて、与えたくて、仕方のない愛が、
誰の心の中にもあります。
絶対に。
愛が不足しているなんて、
そんなことはない。
誰もが、愛の存在なのだから、
そんなことは、ありえないのです。
それから、
犠牲を払えと言われているような気がしますが、
誰も、そんなことは要求しておらず、
そう思い込んでいるのは、自分だけです。
自分が、止めればよい。
犠牲を払わないと、
対価を得られないという信念は、
もう必要ありません。
そんなのは、
さっさとゴミ箱にポイすればよいです。