最善の判断の番外編 | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

昨日の記事、「最善の判断」に関して、

 

奇跡講座に良い表現があったので、転載します。

 

 

人は「良い」価値判断と「悪い」価値判断をすることが可能であり

 

教育は前者を強化して、

 

後者を最小化することを目指します。

 

しかしながら、これらの範疇が何を意味するかに関しては

 

相当な混乱があります。

 

ある人にとって「良い」価値判断は、

 

他の人にとって「悪い」価値判断です。

 

更に言えば、

 

同じ人ですら同じ行動をある時には

 

「良い」価値判断を示したものとして分類し、

 

ある時には悪い価値判断を示したものとして分類します。

 

こうした条件の中では

 

「良い」価値判断は何も意味しません。

 

「悪い」価値判断もそれと同様に

 

何も意味しません。

 

 

引用:「奇跡のコース」 

著:ヘレン・シャックマン 訳:大内博

発行:ナチュラルスピリット

 

 

つまり、我々は、不可能なことをやろうとして、

 

悪戦苦闘しているわけです。

 

悪戦苦闘と言う言葉では、まだ足りないですね。

 

この人生をかけている。

 

それは、言葉を変えると、

 

「徒労」です。

 

 

このことを、受け入れられる人は、多くありません。

 

でも、いずれは、

 

これを受け入れる時が来ます。

 

今は、受け入れられなくても、

 

それは全く構わない。

 

それを責める人は、誰もいません。

 

 

価値判断という、

 

足かせ、

 

自らを縛り付ける牢獄

 

そんなものは、必要ありません。

 

オールフリーです。

 

飲み物の話ではなく。にやり

 

あなたは、あなたのままでイイ。

 

そこに、価値などという概念は、

 

必要ありません。