これは聞いた話なので、ほんとかどうか分かりませんが、
アメリカ人は、創世記を信じている人が少なくない、らしい。
神が天と地を創造し、アダムとイブを造った・・・
私の乏しい知識によれば、そんな感じ。
そのため、進化論を信じていない人も多いとか。
日本人は、現代科学を信じる人が多いので、
へ?って感じですが、
でも、何を信じるか、
人によって様々です。
そして、信じるものによって、
価値観も、見方も、何もかも変わる。
私も、現代科学が一番信用出来て、これが正しいと思っていました。
が、何が正しいか、なんて誰にもわからないし、証明できない。
映画のマトリックスみたいに、
ほんとは、この世界はバーチャルで、
本当の世界は別にあるのかもしれません。
そして、誰もそれを完全に否定することは出来ません。
だから、何が正しいか、よりも、
何を信じるか。
今では、そう思います。
私も、スピリチュアルや精神世界に、どっぷり漬かっていた頃は、
人は、肉体と魂と精神から成っていて、
肉体が滅びると、魂はあの世に帰り、
再び、肉体に宿るのだと、
そう信じていました。
それはそれで、私の助けとなったんです。
人は肉体だけで、死ぬと何もかも消滅しちゃう、
という考えは、
あまりにも恐ろしくて、絶望的。
本当の私は、肉体ではない。
という考えは、救いとなりましたね。
が、やはり、それだけでは、苦しみは終わりません。
別の何かがある。
ま、それも、私が何を信じるか、です。
ただ、私が何を信じても良いように、
他人が何を信じても良い。
他人に対して、
それは間違っている!
というのは、余計なお世話というもの。
いやいや、相手のためを思って、
間違っていると指摘してあげるのです!
という意見もあるでしょうが、
それでも余計なお世話だし、
指摘するとしても、優しく、愛をこめて指摘するほうが、
相手のためになるでしょう。
私が、自由に信じる権利があるように、
相手にも、同じ権利がある。
ついつい忘れてしまいますが、
大切なことだと思います。
自分のためにも。