長いこと、スピリチュアルや精神世界を学んできましたけど、
その、ほとんどの間、
私は、私のことを、認めていませんでした。
ま、今でもまだまだ認めてないですけどね~。
以前は、こんなふうに考えていました。
守護霊や、ご先祖様が、私を見守り、守ってくれる。
私に何かの危険が迫っても、回避してくれるのだ。
だから、ありがたい。感謝しなくては。
でもそれは、私が良い子にしていたら?であって、
私が、もし、悪い子だったら、
その庇護も受けられないわけです。
悪い子だったら、その報いを受けなければならない。
長いこと、それが当然だと思ってきましたが、
いやはや。そんなのは、地獄と同じです。
親が子供に、「いい子にしてたら認めてあげる」
というのと、まったく同じ構図です。
アナ雪で、
ありのままでいいのよ~
というセリフが流行りましたが、
ありのままじゃ、ダメだったんですね。
そう、ありのままじゃダメで、
努力して、良い子にならなければ、認められないのだ、
という信念が、もう骨身に浸透していたように思います。
でも、心のどこかに、
そんなはずない!
という想いが、わずかながらもあり続けました。
心の奥底に、隠されるように潜んでいた声です。

その声に、少しずつ少しずつ、耳を傾けるようになってきまして、
あぁ、俺は、本当に、ありのままで良いのかもしれない・・・
という事を思うようになってきました。
それでも、こんな考えを、なかなか捨てられません。
ありのままの自分でいると、悪人とまでは言わないけど、
他人に迷惑をかけるのではないか・・・。
だから、他人と折り合いをつけるために、自分を制限しなくてはならない。
しかし、自分を偽ることほど、辛いことはないのです。
これは、思っている以上に、自分に深い傷を負わせると思います。
でも、そこまでしてしまうのは、
何かを怖れているからに他なりません。
この「怖れ」が、私の自由を奪い、偽ることを選ばせてしまうのですよね。
だから、「怖れ」がカギなのだと思います。
この「怖れ」は、本当に怖れるべきものなのだろうか?
これまた、心の奥底の声を聞く、
ということが大事だなぁ、と思います。
そこには、安らぎがあって、怖れなど入り込む余地はない、
と、感じます。