帰省したとき、私の父に戦時中の話を聞いてみたので紹介します。
私の父は台湾で生まれました。
両親が鹿児島から台湾へ移り住み、そこで生まれたわけです。
父の父、つまり私の祖父は私が生まれる数年前に亡くなり、会ったことがありません。
どんな仕事をしていたのか、色々聞いてみました。
最初は台湾で警察官をやっていたそうです。
そして警察官を辞めて、電力会社に就職。現地の人を部下に抱える身だったとか。
しかし昭和19年にいわゆる赤紙が来て徴兵されました。
陸軍の台湾守備隊に配属されたそうです。
幸いにも終戦まで台湾が戦場になることは無く、祖父は終戦後再び電力会社に戻りました。
しかし終戦と共に世の中はがらっと変わってしまったそうです。
まず、父が通っていた小学校の先生が変わり、日本語ではなく中国語を教わるようになったそうです。
祖父は、電力会社に勤め続けていましたが、昭和21年の春、日本人は日本に引き上げることになりました。
現地の台湾の部下からは行かないで欲しいと嘆願されたそうですが、全財産を没収された上に着の身着のまま米軍の上陸用舟艇に乗せられ、和歌山県の田辺にたどり着いたそうです。そして、そこから2日かけて地元の鹿児島に帰ってきたそうです。
満州にいた方などが大変な混乱に巻き込まれたのに比べれば、不幸中の幸いとも言えますが、一旗あげようと台湾に移住した祖父にとっては、非常に辛い現実だったようです。
ちなみに戦後暫くして、祖父の部下だった台湾の方が、祖父の家まで訪ねてきてくれたそうです。
現地の方に信頼されていたようで、嬉しい話でした。